石川五右衛門
【いしかわごえもん】
実在し、盗みで処刑はされたが、その活躍はフィクションが多い
芝居や講談本の登場人物としておなじみの大泥棒・石川五右衛門は実在の人物だ。ただそれも、安土桃山時代に頭目として配下とともに盗みを働いたという点が確実なだけにすぎない。江戸時代以降に書かれたフィクションでは、豊臣政権に抵抗した義賊という扱われ方で、五右衛門の盗みに何らかの意義を持たせたり、近年になると、さらに意味を持たせるためか、彼は実は忍者だったという内容も見られるが、実在の五右衛門を知る手がかりは、江戸時代に書かれた史料である。それは、彼が秀吉の命で捕縛され、処刑が三条河原という公開の場でおこなわれ、しかも釜ゆでという特異なものだったために記録されたものだ。生地に関しては河内の国石川村、遠州浜松、奥州石川あるいは白河など様々だ。忍者説が誕生したのは、史料のなかに伊賀石川の生まれとしたものがあったかららしい。これらは、ともかく歴史をひもとくとき、史書と見なされる記録からの検証だ。ところが、江戸時代に最初につくられた浄じょう瑠る璃りのようなフィクション類になると、釜ゆでに至るまでの五右衛門の盗みのエピソードが、作者の想像によってあれこれ描かれている。よく知られているのが『絵本太閤記』で、寛政年間から享和年間(一七八九?一八〇四)に書かれた読本だ。この書では、五右衛門は伏見城の秀吉の寝所に刀を盗もうと忍び込む。そのとき枕元にあった名器「千鳥香炉(ちどりのこうろ)」が鳴いたため気づかれ、捕まる展開になっている。実在の城や名器を登場させて実話めかした作者の工夫がうかがえる作品だ。また五右衛門の人間性を表現したエピソードもある。商家に盗みに入った五右衛門は、死をも恐れぬ主人に盗みを諫いさめられて退却する。その翌日、同じ商家に金が投げ込まれるが、これが五右衛門からのもの。「もし自分が捕まって処刑されたら、この金で供養してほしい」との手紙つきだった。そして主人は、実際に五右衛門の法要をおこない、子孫にも供養を続けることを命じたという。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820040 |