ムンク
【東京雑学研究会編】
§ムンクの叫びは何を叫んでいるのか?
橋の上で、両手を顔に当てて叫んでいる人物。空は赤く、色彩も線もゆがみ、見る者にまで底知れぬ不安をもたらす。
誰もが知っている『叫び』は、ノルウェーの画家ムンクの作品である。性別も、年齢もわからないこの人物は、一体、何を叫んでいるのだろう。
それを知るには、ムンクの生涯が手がかりになる。一八六三年に生まれたムンクは、幼い頃に母と姉を結核で失い、自身も一三歳で喀血し、いつも死の不安にとらわれていた。画家となってからも、彼が描くのは、自己の内面の孤独と、肉親の死の記憶だった。
一八九二年一月二二日の彼の日記には、次のようにつづられている。「私は見た。青黒いフィヨルドと町の上に、燃えるような雲が、血か剣のように覆いかぶさるのを」「私は恐怖に襲われて立ちすくんだ。そして、大きな叫びが、自然をつんざくのを感じた」
この日、彼は二人の友人と歩いていたが、陽が沈むと憂鬱でたまらなくなり、なぜか空が血のように赤くなったと感じ、橋の欄干にもたれずにはいられなかったという。
この状況は、『叫び』のモティーフとぴったり一致する。絵の人物はムンク自身で、叫んでいるのは、具体的な言葉ではなく、不安そのものであろう。あるいは、叫んでいるのは人物ではなく世界の方で、あの人物はそれを聞くまいと耳をふさいでいるのかもしれない。
ムンクの一連の作品は、社会からスキャンダラスに受け取られたし、彼自身も若い頃に、女性との別れ話のもつれから、自分の左手の中指を吹き飛ばすという事件を起こしている。ピストルの暴発だったというが、本当のところはわかっていない。ことに、『叫び』を描いた頃は、奇行が目立った。
一九〇八年から翌年にかけて、ムンクは精神病院に入院する。退院後は、写実的な画風で労働者や農民の姿を描いたこともあったが、世間とは交わろうとせず、一九四四年に孤独の中で世を去った。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670923 |