MENU
    全辞書一括検索 by JLogos

雑学大全趣味 > スポーツ

ボウリング
【東京雑学研究会編】

§ボウリングのピンはなぜ一〇本なのか?

一九八八(昭和六三)年に京都府で行われた戦後二巡目の国民体育大会でボウリングが正式種目として認められた。このようにボウリングというスポーツは、今日でも根強い人気を保っている。
日本にはじめてボウリングが伝わったのは大正年間であったが、本格的に楽しまれるようになったのは、戦後のことであった。アメリカ駐留軍のレクリエーションとしてアメリカ軍キャンプに入ってきたのがきっかけで、一九五二(昭和二七)年に、東京・青山に東京ボウリングセンターが開設された。
ようやく日本人の間に普及し始めたのは、一九五五(昭和三〇)年頃であった。やがて一九六一(昭和三六)年にピンセッターマシンが導入され、爆発的なボウリングブームが起こった。そして、日本初のプロボウラーが一九六七(昭和四二)年に生まれた。
今日のボウリングの競技は、一〇本のピンを逆三角形に並べて行われているが、一八七四(明治七)年以前は、ピンの数は九本であった。一〇本になったのはどういうわけなのだろう
まずは、ボウリングの歴史をひもといてみよう。一六二六年、ヨーロッパで流行し「ナインピンズ」と呼ばれていたボウリングは、オランダからの移民によって、はじめてアメリカに伝えられ、やがて全土で人気の競技になり、金を賭け熱狂する人々が現れた。この風潮を懸念したピューリタンは、猛烈に反対運動を展開。ついに一八四一年、「ナインピンズ禁止令」がニューヨーク州で出された。次第に禁止令は全米に広がり、「ナインピンズ」は消えた。
ところが、健全な娯楽としてボウリングを復活させたいと思った人々は一計を案じた。ピンを一本増やし「テンピンズ」にして、それらを正三角形に並べたのである。「ナインは禁止でも、テンならOK」というわけ。これは圧倒的にファンに受けた。こうして一八七五年には、統一された競技規則も定められた。いかにもアメリカ人らしい「ノリ」が、近代ボウリングを誕生させたといっていいかもしれない。




東京書籍 (著:東京雑学研究会)
「雑学大全」
JLogosID : 12670875

この辞典の個別アプリ

雑学大全
「働きバチは1日6時間しか働かない」など、知的好奇心をそそる雑学の集大成。全1000項目を収録したアプリ。

【辞典内Top3】 握手  性的に刺激する色  裁きの豆  
【関連コンテンツ】

関連辞書

雑学大全2 暦の雑学事典 日本史の雑学事典 道と路がわかる事典 

関連書籍

 東京書籍「雑学大全」

出版社:東京書籍[link]
編集:東京雑学研究会
価格:2,160
収録数:1000
サイズ:26x19x4cm(B5判)
発売日:2004年8月
ISBN:978-4487799473

JLogosPREMIUM(100冊100万円分以上の辞書・辞典使い放題/広告表示無し)は各キャリア公式サイトから

             × 閉じる

収録辞書全リスト