羽根つき
【東京雑学研究会編】
§羽根つきで負けると、顔に墨を塗るのはなぜ?
歳末の東京では浅草の浅草寺の境内で、華やかな絵柄の羽子板を売る羽子板市が開かれ、たくさんの人で賑わう。すっかりお馴染みの年末の風物詩だ。ここで売られている羽子板は、子どもの遊び道具というよりは、女の子の成長を願う縁起物、あるいは伝統工芸品として買われてゆく。
ここでの羽子板は「押絵羽子板」と呼ばれ、江戸時代末期の文化・文政年間(一八〇四~三〇)に浮世絵の影響を受けて、庶民のあいだに広がったものだ。
江戸時代には、子どもの健康と成長を祈って男の子には弓矢、女の子には羽子板を送っていた。お正月には男の子には弓を射させ、女の子には羽根つきをして遊ばせた。羽根つきの仕方は、一人で羽をついてその数を数えるものと、二人でつきあうもの、多人数で輪になってつくものがある。羽を受け損ねた人の顔に墨を塗るのは、変な顔になった人を見て年のはじめにみんなで笑って厄落としをしようとする目的のもの。ちなみに独楽回しも、その回る音によって悪霊を払おうという呪術的な要素を持つ遊びだったのだ。
羽根つきの羽はもともとは「羽子」と書かれ、害虫を退治する益虫・トンボの姿をデフォルメしたもの。羽根の先についている黒い玉は、昔、無患子という植物の実が使われた。無患子の実は生薬になり、果皮は石鹸の代わりにもなる、縁起がよいとされてきた植物だ。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670772 |