ネロ
【東京雑学研究会編】
§ローマの皇帝ネロは、熱狂的な香り好きだった
帝政ローマの歴代皇帝の中でも、いちばんの暴君として知られているのが、ネロである。
ネロは、紀元五四年に一六歳で帝位に就き、当初は善政を敷いたものの、やがて独裁を始めた。母親のアグリッピナも権力欲が強く、息子を支配し続け、ネロとアグリッピナの間には近親相姦の噂もあった。ネロは、そのアグリッピナをはじめ、身近な者を次々に殺した。ローマに大火災が起こると、それをキリスト教徒のしわざとして迫害し、後世にまで悪名を残すこととなった。
こんなネロには、熱狂的な香り好きという一面があった。
ローマ皇帝ならば、できないことはない。宮殿の床には、じゅうたんの代わりにバラの花を敷きつめ、壁には、来客に香油や香りのように花を振りまく仕掛けをセットした。宴会では、体じゅうに香油を塗った鳥を飛ばして、会場を芳香で満たし、人々を驚かせては悦に入った。
ネロの愛人ポッパエアも、負けず劣らず香り好きだった。そもそもポッパエアは人妻だったが、ネロはその夫を左遷して彼女をものにし、正妻を追放して迎え入れた。このポッパエアは、ネロの母親アグリッピナと仲が悪く、アグリッピナの暗殺は、ポッパエアが勧めたものといわれている。
ポッパエアは、もっぱら美容方面に香りを用い、香料入りの化粧クリームや、香料を入れたロバのミルク風呂を愛用した。お抱えの美容師はもちろん、調香師をも雇っていた。
競い合うように、香料を使った二人だが、やがてポッパエアは死んでしまう。
ネロは、ここでも香りの大盤振る舞いをしないではいられなかった。当時、香料の一大生産地はアラビアだった。ネロは、アラビアの生産量の一〇年分もの香料を、ポッパエアの葬式で振りまいたと言われている。
だが、六八年には反乱が起こる。軍隊にも元老院にも見捨てられたネロは、ローマ市を逃れて自殺した。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670748 |