徳川家康
【東京雑学研究会編】
§徳川家康は、一八七キロもの香木をコレクションしていた
江戸幕府を開いた徳川家康は、一六〇六(慶長一一)年に、東南アジアの各国の王にあてて、こんな内容の手紙を出している。
「品質が中や下の沈香は、わが国にたくさん入ってきますが、上等なものはありません。そちらの国内の奇楠香を譲ってください」
奇楠香とは、伽羅のことである。伽羅は、沈香の中でも最優良の香木として古くから珍重され、茶道でも「真の香」といわれた。また、江戸時代には、伽羅油、伽羅下駄など、伽羅そのものには直接関係がなくても、高級品には伽羅の名をつける風潮が生まれるほどだった。
ところが、この伽羅は、日本国内でも中国でも産出されないのである。そのため、チャンパ(二世紀末~一七世紀までベトナム中部に存在した国家)などからの輸入に頼るしかなかった。
そこで家康は、わざわざ手紙を書いて、伽羅を手に入れようとしたのである。あまり知られていないが、家康は大変な香りマニアだったのだ。
一六〇六(慶長一一)年といえば、江戸幕府ができてからわずか三年。まだまだ問題が山積みで、家康がのんびりできるような状態ではなかったはずである。それにもかかわらず、家康は、各国の王に呼びかけてまで、伽羅を欲しがった。
この手紙が功を奏したのかどうかわからないが、家康が生涯に集めた伽羅の香木は二七貫、沈香も合わせると五〇貫にも及んだという。
一貫とは、およそ三・七五キログラムだから、伽羅だけでおよそ一〇〇キログラム、沈香はおよそ一八七キログラムになる。もっとも一貫といっても、香料や漢方薬のような貴重なものの場合は、一般の換算率とは違う計算がなされたという説もあるから、実際に、どのくらいの量だったかは不明である。
しかし、家康が香木の収集に情熱を燃やし、めったにないほどのコレクションを有していたことは事実である。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670668 |