修身教科書
【東京雑学研究会編】
§美人が批判の対象になった戦前
第二次世界大戦前まで、学校教育の科目の一つに修身があった。戦後も数か月は道徳という名で続けられ、やがて廃止された。
明治時代に学校制度が誕生して、そのとき設けられた修身教育の理念が、国家による国民の価値観の統制、国家への忠誠、忠君・愛国などの徳目主義を押しつける結果になったため、戦後になって目のかたきにされ、廃止されることになったのだった。
ただ、当初、修身というのは「行儀のさとし」としてスタートしており、人民の権利と自由といった内容も欧米化を目指すために盛り込まれたものだった。それが、基本的人権を認めない尊皇愛国的国家主義を支えるものに変化していったのだが、それを象徴している例が「中等教科・明治女大学」という、女学生向け修身教科書の内容だ。
容貌について触れた項があり、そこでは美人がこきおろされている。いわく「美人は傲慢で、虚栄心が強く、人生で失敗しやすい」、それにくらべて不美人は、従順、謙虚、勤勉、多才……と、これ以上ないほどの褒めようだ。
そして具体例として、見目かたちはたいそう醜くかったが、心の持ちようがきわめて美しかった妻の教訓的な物語まで載せている。「教育勅語」で忠義や孝行といったものの美しさ、大切さをうたったのと同じ、徳目教育の目玉でもあった。
美女がこれだけこきおろされたのは、現実には醜い女性が差別されがちな社会状況があったためらしく、その対策としてあえて修身教科書で美女をおとしめたのだそうだが、逆差別に近い内容となったようだ。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670449 |