シューベルト
【東京雑学研究会編】
§こんなところにダイエットの先輩が!!
幼いときから才能の片鱗をのぞかせたシューベルトが、わずか一一歳にして王室礼拝堂の聖歌隊員に採用され、国立神学校で音楽教育が受けられたのも、恵まれた家庭環境の賜物だったのかもしれない。
父親は初等学校の経営者で、シューベルトは神学校で音楽教育を受けたあと教員養成課程を終えて父親の学校を手伝ったとはいうものの、実は現代日本でいうフリーター的生活を生涯にわたって貫いたのだから、経済的に恵まれていたといえるだろう。
彼は一七歳頃から作曲を始め、「野ばら」「魔王」といった代表曲を、その若い時期に生み出して、音楽家として歩く道を定めた。同じように音楽の道を進む友人や文学青年たちと多くの交流を持ち、あるときはそんな友人たちの家に居候し、ときにはハンガリー貴族の家で音楽の家庭教師を務めたりしながら社交界で自由な生活を送り続けた。
自由といえばたしかに自由だが、それはまた規範も制約もない野放図にも通じるもので、それがシューベルトの肉体に現れる。友人たちから「ビヤ樽」とからかわれるような肥満体になったのである。
ただし、そんな中でも、やさしくてさわやかなメロディを創作し続けたのだから、才能は間違いなく本物だ。
しかし、さすがに肥満は反省したらしく、一大決心をしてダイエットに取り組む。その方法は、余計な水分は摂らず、食べ物もいっさい口にしないという過激さで、わずか数週間でダイエットに成功する。ダイエット期間中、空腹をまぎらせるために作曲に没頭し、その代表作の多くを占める抒情詩に曲をつけた作品(リート)を、つぎつぎに生み出したという。
このときのダイエットのためか、長く続けた気ままな生活による不摂生のせいか、三一歳でシューベルトは世を去った。交響曲を書きたくて、ベートーヴェンに憧れ続け、その葬儀にも参列したというが、晩年に彼が残した傑作「冬の旅」は、やはりドイツ・リートであった。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670450 |