シーメンス事件
【東京雑学研究会編】
§文化の違いが生んだシーメンス事件
日本では選挙のたびに贈収賄がニュースになるが、意外なことに西洋には「わいろ」「袖の下」といった意識が薄い。どんなに大金を送っても、それは「商取引きに付随する正当な報酬金」になってしまうのだ。
西洋人が日本人に金品を送ったため贈収賄事件として大騒ぎになった一九一四(大正三)年のシーメンス事件が有名だ。
一九一四年、日本海軍がドイツの軍需会社シーメンス社とイギリスのビッカーズ社から軍艦を購入した。このとき、日本海軍は発注品の代金の三・五%~一五%をシーメンス社からコミッションとして受け取っていた。また極秘に発注を行ったイギリスのビッカーズ社からも二五%のコミッションを取っていた。これを知ったシーメンス社が海相斎藤実をゆすったのだ。
このことが明るみに出て、海軍将校が両社からコミッションを受け取ったとして罰せられ、当時の与党は責任を取るため退陣を余儀なくされた。
ドイツやイギリスでは正当な商習慣だったようだが、これは日本では立派なわいろである。日本人の行ったことは日本の法律で裁かれ、後世に名を残すシーメンス事件となってしまったのだ。
戦後の有名な汚職事件となったロッキード事件でも、アメリカ側は最後まで「わいろ」とはいわず「商取引きのための謝礼」と主張し続けていた。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670436 |