サド侯爵
【東京雑学研究会編】
§サド侯爵はサドでなく、本当はマゾだった?
「SM」はご存じのように、サドとマゾの略だ。つまりサディズムとマゾヒズムのことである。どちらも性的な倒錯で、サディストは他人に身体的・精神的な苦痛を与えることで性的満足を得る人。これに対してマゾヒストは逆に他人から身体的・精神的な虐待や苦痛を受けることで性的満足を得る人のことだ。
サディズムという言葉の語源になったのが、一八世紀のフランスで活躍した著名な作家で、思想家でもあるサド侯爵ことマルキ・ド・サドである。
彼は、性的な乱交を小説の題材として好んだ。『悪徳の栄え』『ソドムの百二〇日』などの作品を読むと、たしかに強姦や拷問、手足切断、殺人の場面がたくさん描かれている。その傾向を見る限り、サド侯爵はとんでもないサディストだったとしか言いようがない。
彼は人生の三分の一を監獄で過ごしたと言われている。監獄に入れられた理由が、夜ごと女性たちと淫乱で過激なセックスライフを送っていたからだと聞かされても、素直に「さもありなん」と納得してしまう。ところが、その後の研究で、彼はこれといった罪を犯したことがなく、不当な監禁であったことが判明した。さらに、実際にはサディストの傾向もなかったようだ。
ただし、彼には、これまた変わった癖があったという。女性に自分の尻をムチで打ってもらうのが好きだったり、従者の一人を愛人にして「ご主人様」と呼んだり、自分のことを「ラ・フルール(花)」と呼ばせたりしていたのである。つまり、サディストではなくて、どうやら逆にマゾヒストだったらしいのだ。
彼の小説は、自分がしてほしかったことを誇張して書いたものだったのかもしれない。表裏一体とは、まさにこのことだ。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670388 |