ゲーテ
【東京雑学研究会編】
§「もっと光を」と言い遺したゲーテの真相
ゲーテはドイツの詩人、小説家、劇作家、自然科学者、美術研究家として多彩な能力を発揮した。ワイマール公国の要職につく政治家でもあった。
日本では明治時代前半、ゲーテの作品はイギリス経由で流入していた。
一八九九(明治三二)年に『国民の友』に森外が直訳して掲載した「ミニヨン」が評判を呼び、この後、ゲーテの文学は外のほか、国木田独歩、島崎藤村などにヒューマニズムの側面から大きな影響を残した。
ゲーテは一八三二年、ワイマールで没したが、彼の最期の言葉「もっと光を」は文豪ゲーテに相応しい意味深さを持つ逸話として語り継がれている。
でも実はゲーテがこの言葉を言ったのは死ぬ三〇分も前だった。さらに「もっと光を」と言ったのは、特に哲学的な意味を込めてではなく、単に部屋が暗かったから、「もっと光がはいるように鎧戸を開けなさい」と言ったのが真実だ。
ゲーテの本当の最期の言葉は、息子アウグストの妻オッティリエに言った言葉「ここにおいで、私の娘、私の手を握っておくれ」。
そしてゲーテは、息子の妻の手を握って息絶えたのだ。
けれども、なぜ実の息子の手を握るのではなく、その妻の手を握って死んだのか?
オッティリエを実の子のように愛していただけなのか、それとも死に瀕しても若い女性の手を握りたかっただけなのか。「もっと光を」という言葉以上に考えるほどに訳のわからない不可解なエピソードだ。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670297 |