喜多川歌麿
【東京雑学研究会編】
§晩年の喜多川歌麿は弟子に代作してもらっていた!?
ウタマロといえば外国でもよく知られた浮世絵画家だ。日本では彼を美人画の第一人者と思っている人が多いが、海外でウタマロというと版画の危ない絵、つまりは春画の代名詞になっていたりするから、真の評価をしての知名度かどうかは不明だ。
彼はあれだけ美人をたくさん描いているのに、本人はブ男だったという説がある。イギリスに現存している彼の肖像画が、たいそう不格好なものだというのだ。反対に、ずいぶん優男に描かれた彼の肖像画もあり、歌麿はここでも真の評価が分かれるのだ。
さらに仕事面でも彼の真の評価を惑わせるものがある。晩年の作品の質がガクンと落ちるのである。
もともと歌麿が人気を得たのは、それまでの浮世絵になかった構図を取り入れたからだった。画面いっぱいに美人の顔を描いて「大首絵」といわれた、いわばクローズアップの絵が大人気を博したのである。切手にもなった代表作の「ビードロを吹く女」に、それが顕著だ。
ただ、彼の登場した時代は寛政年間で、改革による風紀取り締まりのため大首絵は禁止されてしまう。それが彼の創作意欲をそぎ、絵の質が落ちていって、晩年の駄作となった可能性がなくはない。
また逆に、あまりに人気が出すぎたため多作を強いられて絵が荒れたとも考えられるが、もっとおもしろいのは、制作が追いつかなかったので、弟子たちに代作させていたに違いないという説だ。
その絵の質はともかく、最後には、作品をとがめられて手鎖五〇日の刑を受けたためか制作もせず、不遇な晩年だったようである。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670237 |