親不知子不知
【東京雑学研究会編】
§親不知子不知の地名の由来は?
親不知子不知は「おやしらずこしらず」と読む。そんな変わった名前の地名が新潟県にはある。ここは、飛騨山脈の北端で、日本海に面してそそり立っている断崖の下方にある約一・五キロの海岸である。
この変わった名前は、昔、当地を旅する人がこの断崖の下の細い道を通るときに、あまりに次々と寄せる波が激しいために、親は子を、子は親を顧みる暇もなかったことからつけられている。
そして、それにまつわる悲しい実話がここに残されているのだ。
一一八九(文治五)年のこと。そのとき、平清盛の異母弟であった平頼盛は越後に身を隠していた。平家が源氏に破れ、追手から逃げるためである。しかし、離れ離れで暮らしていた頼盛の妻は、その年、二歳の子どもを抱いて京から夫の元に向かっていた。
北陸道をやっとのことで越えて、とうとうこの地にさしかかったときに、たたきつけるような波が親子を襲い、抱いていた愛児がその波にさらわれてしまったのである。頼盛の妻は、悲嘆にくれて「親不知 子はこの浦の 波まくら 越路の磯の あわと消えゆく」と詠んだという。
地名の親不知の名前はここから起こったとも伝えられている。
一一八三(寿永二)年、ここには北陸街道が開通し、後に国道八号線となって、トンネルシェードを加えられ大改修が行われた。一九一二(大正元)年に北陸本線が開通し、山よりには親不知トンネル、子不知トンネルが完成して、随分便利になったということである。
それでも、親不知子不知にどこか物悲しげな印象があるのは、厳しい日本海の自然の姿と、背景にこんな悲しい物語が隠れているからかもしれない。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670146 |