マニフェスト
【概要】
政党や候補者が実現を目指す政治理念や具体的政策、選挙公約をまとめたもので、選挙の際に有権者に提示する。元々はイタリア語で、日本では「政権公約」と訳されることが多い。マニフェストを使った選挙戦は、19世紀の英国が始まりとされる。
1997年の総選挙で、労働党が18年ぶりに政権を奪回し、トニー・ブレア首相(当時)が掲げていたのを機に日本でも注目された。2003年1月、北川正恭・三重県知事(当時)がマニフェスト導入を提唱。4月の統一地方選挙では増田寛也・岩手県知事(当時)が選挙戦でマニフェストを掲げたのが我が国の草分けとなった。国政でも同年の衆院選は「マニフェスト選挙」とも呼ばれ、「マニフェスト」は流行語大賞になるなど定着し始めた。民主党は09年総選挙で、マニフェストに「高速道路の無料化」「子ども手当」などを盛り込み、政権交代を果たした。しかし公約の多くが実現せず、有権者のマニフェスト不信を招いた中で、12年12月4日告示、16日投開票の総選挙を迎える。
【解説】
民主党は3年前に166項目の政権公約を掲げたが、「高速道路の無料化」「八ツ場ダムの建設中止」など多くが断念。党が総選挙前に発表した自己検証ですら実現は約3割にとどまった。マニフェストには無かった消費増税法案を成立させたこともあり、国民の間では「結局できない約束をする」「裏切られることが前提」(12年11月16日、テレビ東京「WBS」の街頭インタビュー)といった不信感を増幅させた。「マニフェスト」の悪化したイメージを避けるかのように、自民党は「政権公約」、みんなの党は「アジェンダ」、日本維新の会は「骨太」と称するなど他の名称を使用。「『マニフェスト選挙』は岐路に立たされている」(12年12月2日、産経新聞)状態だ。
しかし日本でマニフェスト導入が提唱されたのは、公約が漠然としがちで、有権者が選挙時に検証する手段が十分になかったためだ。先駆けとなった増田氏の場合、県知事選で公共事業の3割削減などの数値を盛り込んだ公約を掲げたことで「県職員の意識をがらりと変えた」効果もあったという(12年5月31日、早大マニフェスト研究所編・マニフェスト学校~政治山出張講座~)。
マニフェストが機能不全となる背景には、日本では戦後久しく自民党を中心とした政権の時代が続いたため、野党の政策立案能力が育成されず、官庁の情報開示が不十分だったことがある。また、北川氏が指摘するように、「PDCA(計画⇒実行⇒評価⇒改善)サイクル」や第三者の事後検証が十分ではない。同研究所によると、日本でマニフェストが注目される契機となったブレア政権のマニフェストでは、教育政策を最重点項目に明示し、「5~7歳児のクラスを30人以下に削減」「すべての4歳児を受け入れられるよう保育園を整備」など、「具体的な内容」が「数値目標」「期限」「財源」とともに記載されていた。自民党の平将明氏が「企業の財務諸表に記載のルールがあるように、マニフェストを書式化・標準化」「各党、同じルールに則って記載すれば、有権者は各党間でのマニフェストを比較することもできるし、時系列で比較することもできる」などと提案するように(12年07月07日、現代ビジネス)、マニフェストを前向きに見直そうとする動きもある。
| 時事用語のABC (著:時事用語ABC編集部) 「時事用語のABC」 JLogosID : 14425439 |