一般道路を使ったスポーツ
【いっぱんどうろをつかったすぽーつ】
日本で最初の駅伝はどの道を走ったか?
さくら道国際ネイチャーランのように、一般道路を使ってさまざまなスポーツ、競技が行われているが、その代表的なものがマラソンと駅伝である。ではマラソンと駅伝、その歴史はどっちが古いのか。
一八九六(明治二九)年に開催された近代オリンピックの第一回アテネ大会で、マラソンの起源となったマラトンの古戦場から、アテネの競技場まで約三六kmの区間で競ったのが世界初のマラソンであった。現在の四二・一九五kmで行われた最初のマラソンは、第八回のパリオリンピック(一九二四年)である。
日本で最初のマラソンは、一九〇九(明治四二)年に神戸―大阪間(三二km)で行われた長距離競争で、この大会がきっかけとなって全国に普及していった。四二・一九五kmのフルマラソンは、一九四六(昭和二一)年に大阪市東別院から兵庫県川西市(JR川西池田駅)までを往復した全日本毎日マラソンが最初で、国道二五号と一七六号が使われた。昭和四〇年からは舞台を琵琶湖畔に移し、琵琶湖毎日マラソンとして現在も続いている。
駅伝とは、一般道路を利用した長距離リレー競争のことで、箱根駅伝が最も有名である。箱根駅伝が日本最初の駅伝だと思われがちだが、実は一九一七(大正六)年に、京都三条大橋と東京上野の不忍池間五八〇kmを、二三区に分けて争った「奠都(てんと)記念東海道五三次駅伝競争」が日本初、いや世界初の駅伝なのである。
箱根駅伝は三年後の大正九年からはじまり、今もその伝統は脈々と受け継がれている。奠都駅伝も箱根駅伝も、現在の国道一号線が使われた。
道路は物資輸送など経済活動のためばかりではなく、スポーツや祭りなど、文化活動の面でも重要な役割を果たしているのだ。
| 日本実業出版社 (著:浅井 建爾) 「道と路がわかる事典」 JLogosID : 5060071 |