道路の先進地
【どうろのせんしんち】
山形県が道路の先進地?
旅行などで山形県を訪れたことのある人なら、山形が道路の先進地だと聞いてもまず信用しないだろう。先進地らしい要素がどこにも見当たらないからだ。
県の面積は九三二三km2と、全国で第九位の広さを誇っているものの、道路の延長距離は全国で三三位、道路面積は二九位、舗装率二七位、中央分離帯の設置距離四一位と、どれも平均以下。高速道路も走ってはいるがその距離は短く、他県に比べて道路整備が進んでいるとはいい難い。この山形県のどこが先進地だといえるのか、首を傾げたくなるが、道路の先進地というのは明治時代の話だったのである。
一八七六(明治九)年に初代の山形県令(現在の県知事)になった三島通庸(みちつね)は、山形県の劣悪な道路の現況を目のあたりにし、道路整備の必要性を痛感した。山形県は農業は盛んに行われているが、せっかく収穫した農作物の輸送手段がない。牛馬や荷車の数も著しく少なく、もっぱら農作物を人間が背負って運んでいるという有様である。三島県令は、「県民の暮らしを豊かにするにはまず道路を整備し、経済活動を活発にさせる必要がある」と力説し、大規模な道路建設を推進した。
三島県令が在任した六年間に、二三か所の幹線道路約三五〇kmを改良し、六本のトンネルを建設し、六五か所の橋を架けた。なかでも、米沢と福島の間に横たわる奥羽山脈を抜ける栗子山隧道(ずいどう)(八七六km)の建設は、当時としては画期的なものであった。開通式には明治天皇を迎え、「万世大路」の名を賜ったのである。
東北地方を訪れたイギリスの旅行家は、みちのくの悪路に閉口したものの、山形県に入るなりその道路の立派なことに驚いている。道幅は広く、交通量も多くて非常に繁栄していたというのである。
| 日本実業出版社 (著:浅井 建爾) 「道と路がわかる事典」 JLogosID : 5060060 |