親鸞②
【しんらん】
■2 自分は一人の弟子も持たないと宣言…時代を超えた平等主義が親鸞の教えの源
親鸞は、次のように語る。
「親鸞は弟子一人も持たず候。そのゆえは、我が計らいにて、人に念仏を申させ候わばこそ、弟子にても候わめ、弥陀の御もよおしにあずかりて念仏申し候人を、我が弟子と申すこと、極めたる荒涼のことなり」(『歎異抄』)
すなわち「私は弟子を一人も持っていない。なぜなら、私の力で人に念仏を唱えさせたのではなく、阿弥陀如来の偉大な功徳によって、人々が自ら念仏を口にするようになったからだ。そんな人たちをどうして弟子などと呼べようか」というのである。阿弥陀如来のもとに、人はすべて平等であると考え、自分の口添えで弥陀の本願を信じた人々を『御同朋』・『御同行』と呼んだ。
鎌倉時代当時の階級社会において、このような平等主義、無教団主義を唱えた親鸞の思想は、まさに日本仏教界の奇跡だと言ってよいだろう。
親鸞は生涯、一寺も建立しなかったし、まして新たに一宗を興そうとは考えてもいなかったから、信徒が集まる道場についても、少しだけ一般家屋と異なればよいとし、極力教団化を避けようとしていた。
だが、親鸞の有力門徒を称する人たちは、道場と呼ばれる寺院に似た施設を拠点として庶民に念仏を広めていた。そして、親鸞が亡くなると、彼らのなかに、自分こそが正統であると主張し、他道場を中傷して自派の拡大を図る輩も出てきた。
そんな道場主たちの手で浄土真宗は大発展していくのだが、開祖とされた親鸞に一派を興す気がなかったという話は、とても意外な気がする。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625091 |