赤穂浪士
【あこうろうし】
■8 赤穂浪士の討ち入り装束はウソ?…史実とどこが違うのか
赤穂浪士による吉良邸討ち入りは、知らない人はいないほど日本人の定番となっているお話だが、これは、1702年に起きた史実の元禄赤穂事件を題材にして創作された、歌舞伎や浄瑠璃の脚本『仮名手本忠臣蔵』が原作である。この脚本が、史実と大きく異なっているのをご存じだろうか?
なかでも違うのが、赤穂浪士の装束である。
テレビドラマや映画などでは、浪士全員が、真っ黒な羽織の袖部分を、入山形のダンダラに白く染め抜いたものを着ている。
しかし、この討ち入り装束は、『仮名手本忠臣蔵』のでっち上げである。というのは、人形や歌舞伎役者にこういう衣装を着させたほうがカッコよく、お客の入りも良くなるからだ。
では、本物の赤穂浪士はどんな姿だったのか?
諸記録によれば、どうやら統一されていなかったようである。原則として黒の小袖をまとうことになってはいたらしいが、服装は各自が整えたという。ただし、大石内蔵助からは、「徒党を組んでも怪しまれないよう、全体として火消し姿に見えるように」との指示が出ていたようだ。
伝承によれば、自分の肩に金色の短冊をつけ、討ち死にしても名前が判明するようにしていたという。さらに、夜襲のさい敵味方の区別がつくよう、白い布を両袖につけていたらしい。おそらくこれが、歌舞伎として上演されたとき、入山形の模様に変化したのだろう。
それから、よくテレビや映画などでは、内蔵助が陣太鼓をドンドンと叩いているが、これもウソ。当夜は鉦を持って叩いていたのである。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625021 |