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暦の雑学事典2章 暦の歴史エピソード >

天文学と暦
【てんもんがくとこよみ】

イエズス会宣教師の暦学的貢献

◆ケプラーの法則と中国・日本の暦
 ドイツのケプラーは、天文観測家ティコ・ブラーエの残した膨大なデータをもとに、有名な惑星運動の三法則を導きだした。惑星運動の三法則とは次のようなものである
・第一法則/惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道を描く。
・第二法則/惑星と太陽を結ぶ線が一定時間内に描く面積は一定である
・第三法則/惑星の公転周期の二乗は、太陽からの平均距離の三乗に比例する。
 これらの法則は一六〇九~一九年に発表された。ヨーロッパではグレゴリオ暦への改暦(一五八二年)からまもない頃だが、単なるカレンダーであるグレゴリオ暦への影響はなかった。一方、中国の暦は天体暦を兼ねているので、これを無視することはできず、明代の崇禎暦(一六二九年)からヨーロッパ天文学が導入されることになった。
 中国へのヨーロッパ天文学の紹介には、イエズス会宣教師たちが大きな貢献をした。ティコ・ブラーエの天文学に基づき、精密な天文機械を製作して崇禎暦への改暦作業を進めたのは、テレンツ、ロー、シャールらの宣教師であるシャールが中心となって編集された暦法書『崇禎暦書』は、漢文で書かれたヨーロッパ天文学の一大叢書である。また、一八世紀にはケーグラーらが、ケプラーによる惑星の楕円運動論に基づく『暦象考成後編』を編集した(それまでの『暦象考成』は、太陽・月・惑星運動を円運動とみなして計算されていた)。
◆ヨーロッパ天文学をとりいれて誕生した天保暦
 日本の科学革命期ともいわれる江戸中期には、優秀なアマチュア暦学者が数多く輩出した。京都では麻田剛立が、門下の高橋至時、間重富らとともに、『崇禎暦書』や『暦象考成』などの漢文で書かれた西洋暦書を熱心に研究していた。稀覯書『暦象考成後編』を入手して、ケプラーの惑星楕円軌道運動論を日本人として初めて研究したのも麻田剛立である
 一七九五年、幕府に改暦の議が起こったとき、幕府は名声の高かった麻田剛立を召したが、彼は老齢を理由に自らは辞退して、かわりに高橋至時、間重富を推挙した。こうして天文方に抜擢された高橋至時は、間重富とともに寛政暦(一七九八年)を完成させたが、その暦法は不十分で修正が必要であると考えていた。一八〇三年、高橋至時はフランスのラランドの天文学書のオランダ語訳書をみる機会があり、そこにヨーロッパ天文学の真髄が記されていることを知り、乏しい語学力ながら不屈の努力を重ね、死にいたるまでの半年間で『ラランデ暦書管見』を著した。
 父・高橋至時の遺志を継いだ渋川景佑(至時の次男で渋川家の養子となって改姓。至時の長男・高橋景保はシーボルト事件に関係して一八二九年に獄死)は、『ラランデ暦書』の翻訳を完成させるとともに、その成果を『新巧暦書』に集大成した。これらの暦書をもとに渋川景佑が中心となって完成させたのが、世界で最も精巧な太陰太陽暦といわれる天保暦(一八四四年)である




日本実業出版社 (著:吉岡 安之)
「暦の雑学事典」
JLogosID : 5040045


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:吉岡 安之
価格:1,404
収録数:198
サイズ:18x13x1.8cm(-)
発売日:1999年12月
ISBN:978-4534030214

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