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暦の雑学事典2章 暦の歴史エピソード >


【うるう】

暦によって閏も異なる

◆太陰太陽暦の閏年は一三か月となる
 朔(新月)から次の朔までの期間、すなわち朔望月の周期は、日数で表わすと約二九・五日なので、約〇・五日の端数が生じる。この端数を処理するために、太陰暦においては、一年一二か月を三〇日と二九日の月で構成した。これをそれぞれ大の月小の月という。約二九・五日の朔望月を一二倍すると三五四日となり、一太陽年と約一一日の開きがある。放っておくと暦と季節が毎年、約一一日ずつずれていくことになる。そこで考案されたのが、足りない日数を閏を挿入することで調整する方法である。これを置閏法という。
 中国・後漢の時代(西暦一~三世紀)に編纂された字書『説文解字』によれば、閏とは「余分の月なり。五歳に再び閏す。告朔の礼に、天子は宗廟に居り、閏月には門中に居る。王の門中に在るに従ふ」とある。今日、閏といえば、原則的に四年に一度、二月の末日に一日追加する閏日(二月二九日)のことをいい、閏日の置かれる年を閏年という。しかし、太陰暦においては、暦と季節のずれは年間一一日にもなる。そこで閏日ならぬ閏月を置いてこれを調整するのが太陰太陽暦である。つまり太陰太陽暦においては、平年は一二か月だが、閏月を追加した閏年は一三か月となるのである。『説文解字』に「余分の月なり」とあるのはこのことを意味する。
 「五歳に再び閏す」というのは、五年間に一度、閏月を置くということだが、これではあまりに少なすぎる。おそらく殷や周の時代の古い暦法のことを記しているのだろう。なぜなら中国では西暦前六世紀に、章法というすぐれた置閏法を確立しているからだ。これは一九年間に七度の閏月を置くというもので、ギリシアではメトン法と呼ばれた。
◆「一日」はなぜ「ついたち」というのか
 一年が一二か月であったり、一三か月であったりするのは不便きわまりない。いっそのこと、端数の一一日を年末に加えれば、すっきりとした暦になるはずだ。しかし、それは太陽暦グレゴリオ暦)に慣れた現代人の考えである
 一日は朔日とも表わされ、いずれも「ついたち」と読む。朔とは新月、つまり月が立つ(月がほのかにみえる)日のことで、ついたち(一日)は月立ちが語源である月の満ち欠けを基準とする太陰暦イスラム暦など)は新月を月初とするが、この原則は太陰太陽暦においても守られている。だから、年末に一一日の閏を置いて処理することなど、太陰太陽暦においては考えられないことなのだ。さらにいえば、二九・五日という朔望月の周期はおよその数値であり、実際は二九・五三〇六日である大の月(三〇日)、小の月(二九日)を交互に並べただけでは、朔望月よりも短くなってしまう。そこで大の月をうまく並べて、実際の朔望月とのずれをなくす工夫が求められる。これを連大法という。太陰太陽暦を精緻なものにしようとすると、連大法や置閏法も複雑化する。閏月に天子が「門中に在る」のは、やっかいな計算に追われていたためだろうか。




日本実業出版社 (著:吉岡 安之)
「暦の雑学事典」
JLogosID : 5040035


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:吉岡 安之
価格:1,404
収録数:198
サイズ:18x13x1.8cm(-)
発売日:1999年12月
ISBN:978-4534030214

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