眼鏡
【めがね】
眼鏡のフレームの「九割」は福井産
県民性に関する話題は、いつの間にかそれぞれのお国自慢になる。県民性がテーマの本を読むときは、知人や友人の出身県を思い出しながら、記述と比べてニヤついたり唸ったりするものだ。みんながみんな当てはまるというものではないだろうが、歴史や風土、環境が自ずと育む性質や、性癖あるいは周囲に影響されての傾向などは生まれてくるもののようだ。それを承知していた人物がいたために、繁栄産業を持つことになったのが福井県である。福井県は、鯖江市を中心に一大眼鏡産業地帯となっている。日本国内の眼鏡フレームのシェアは、なんと九割に達している。福井県は、農村は雪が深く収入も安定しなかった。生活苦を憂えた麻生津村生野(現・福井市内)の議員だった増永五左ヱ門は、何か冬の内職向きの仕事を探していた。それで目をつけたのが眼鏡の枠づくりである。一つひとつが手づくり、特別な機械や装置がなくてもできる仕事だからだ。一九〇五(明治三八)年、彼は大阪から職人を招いて技術を学ばせた。この細かい作業に県民の勤勉性が生かされて、コツコツ続けているうちに、教育の普及が推進され、文字を読む人が増え、眼鏡の需要も増大した。やがて内職は本職になり、県の地場産業どころか国を代表する生産地に育ったのである。鯖江市では一九八七(昭和六二)年には「めがね課」(いまは課名変更)を設置するという支援策をとったためもあり、県の生産地の中心となった。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820888 |