納豆
【なっとう】
納豆の発祥地はどこ?
よく外国人が苦手とする日本食に挙げられる納豆。日本人でも苦手とする人はいるが、いまもその人気は絶大である。ところで納豆は、「日本的な」食べもののイメージが強いが、そのルーツを調べてみると意外にも日本ではないようだ。確かに発酵させた糸引き納豆は日本人が考案した食品なのだが、起源をたどると東南アジア地域に行き着く。この地域では、無塩発酵大豆による食品がとても多く食べられていたのだ。ネパールのキネマ、インドのスザチェ、タイのトゥアナオ、インドネシアのテンペ、ブータンのリビ・イッパ、韓国のチョンククジャン、中国のトウシなど、アジア諸国には必ずといっていいくらい大豆が原料の食品がある。このうち、タイのトゥアナオとインドのスザチェは、煮た大豆をバナナの葉に包んで三、四日間発酵させるし、韓国のチョンククジャンも稲わらに詰めて三日間発酵させるという。まさに納豆そっくりである。納豆の発祥地として有力な説は、中国雲南省。文化人類学者の中尾佐助氏が提唱しているものだ。無塩発酵大豆の広がりは、ヒマラヤ山脈を越えてネパール、インドネシアなど南へ下り、中国大陸、朝鮮半島、日本へと渡来するが、その軌跡が大きな三角形をつくっている。これを中尾氏は「納豆のトライアングル」と命名し、その三角形の三本の線が交差するところが中国の雲南省であるという。実際、日本には稲作の栽培技術と一緒に発酵大豆が輸入されたのではないかといわれている。雲南省のプーラン族やタイ族、広西壮族自治区のチワン族の間では、古くから食されていたという。いまでも、省都の昆明市の市場で普通に売られているようだ。納豆という名前のルーツには諸説あるが、その昔、納豆が寺院の「納所」でつくられたことに由来しているという説が『本朝食鑑』という書物に載っている。納所とは、禅宗寺院でお金の勘定をするところ。そこに詰めていた僧らが納豆づくりをしていたため、納所の字をとって「納豆」となったという。もう一つは、平安時代後期の儒者藤原明衡が平安中期の風俗を書き記した『新猿楽記』(一二八六)のなかで、「精進物、春、塩辛、納豆」と出てくるのが初見で、大ベストセラーになったこの本から納豆という記され方が世間に広まったのではないかという説である。ここでの納豆は塩辛納豆ではないかといわれている。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820641 |