下着
【したぎ】
日本で女性が下着をつけはじめた意外なきっかけ
一九三二(昭和七)年一二月一六日。暮れも押し迫ったこの日、日本橋白木屋百貨店から火の手が上がった。これは昭和に入って初めての高層ビル火災で、消防隊の必死の消火活動にもかかわらず、死者が一人、墜落による死者が一三人、負傷者が六七人も出る大惨事となってしまった。墜落死したうちの多くは女性だった。というのも、上層階から綱をつたって脱出しようとした際に、着物の裾がめくれるのをおさえようと綱から手を離した結果、墜落してしまったというのである。なぜかというと、それは下着をつけていなかったからだ。着物の場合、用を足すときに不便ということもあって、当時は下着をつけないのが普通だったのである。この火災を契機に、日本人女性は下着をつけることを習慣化していったといわれるが、本格的に日本人女性の間で下着をつけるのが一般的になったのは、第二次世界大戦中から戦後のことのようだ。当初の女性下着といえば「ズロース」。股下が長く、ゆったりとした下着で、見た目から「かぼちゃパンツ」と呼ばれたりした。「ズロース」は英語の「drawers(ドロワーズ)」がなまったもので、一四世紀末にフランスの宮廷夫人が身に着けるようになったのがはじまりとされている。日本女性として最初にズロースを着用したのは、明治四年に八歳でアメリカに留学した、津田塾大学の創始者津田だ梅うめ子こをはじめとする五人の少女だといわれている。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820384 |