後宮
【こうきゅう】
中国王朝の後宮には何人の妻妾がいた?
「後宮三千」は大げさにしても、中国歴代王朝の皇帝の後宮には一〇〇人以上の妻妾(めかけ)たちがいた。そして出身や皇帝との関係で、多くの位に分かれていた。唐王朝に例をとれば、筆頭は「皇后」でもちろん正妻。定員は一名。その下に定員四人の「妃」がある。四人の「妃」にはそれぞれ名称があって、上から「貴妃」「淑妃」「徳妃」「賢妃」となる。したがって「貴妃」の後宮の序列は二番目ということになる。次に定員九人の「嬪」。さらに定員九人の「??」と続き、その下に来るのが「美人」で定員は四人。さらに「才人」で定員は五人。この下はぐっと定員が増えて各二七人で、「宝林」「御女」「采女」と続く。締めて一一三名の妻妾となる。もちろん、これは公に決まった人数で、歴代皇帝の中にはこれ以上の妻妾を持つ人もいた。さて、中国には有名な后妃がたくさんいるが、後宮での序列は以下の通りだ。秦王朝を滅ぼした後、漢と覇権を争った呉の項羽の愛妾の虞妃(虞美人)は「美人」だから後宮の序列(唐代として)でいえば一五番目、唐の玄宗の愛人楊貴妃は「貴妃」だから皇后に次ぐ二番目だ。玄宗がいかに気に入っていたかがわかる。唐を簒奪し新しい王朝周を開いて中国史上唯一の女帝といわれた則天武后(武則天)が後宮に入ったときの位は「才人」だから、序列は一九番目だが、後に「皇后」にまで昇りつめる。清末の西太后は、皇帝の別荘である円明園の下級女官のとき、皇帝に見初められて「妃」となり、「貴妃」を経て「皇后」になった。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820291 |