沖田総司
【おきたそうじ】
「総司はヒラメ顔だった」はどこまで本当か?
新撰組の沖田総司といえば、美剣士で知られる幕末のヒーローである。しかも池田屋における喀血、結核が原因での早世により、映画やテレビドラマ、そして少女漫画でも取り上げられ、後世まで多くのファンを得ることとなった。しかし、実は沖田総司は美男子ではなかったらしい。幕末には欧米から写真技術が入ってきて、多くの人々の写真が撮られているが、残念ながら総司の写真はない。総司を知っていた佐藤彦五郎の子孫、晃氏は「総司はヒラメのような顔だった」と証言しているし、『新選組遺聞』のなかで子母沢寛は、「背の高い痩せた人物、頬がぐっと上がり気味に張って、頬骨が高く、口が大きく、色は黒かった」と語っている。こうした話から考えると、総司は美男子とはいえなくなってくる。また、池田屋の喀血に関しても、事実ではないという話がある。局長の近藤勇が池田屋の事件について郷里に詳しく手紙を書いているが、そこには総司の喀血に関しては一切記されてないのである。さらに、池田屋の事件からわずか一カ月後に起きた禁門の変に総司が出陣しているが、喝血して昏倒した人間にできることとはとても思えないからだ。一方、天才的な剣の使い手というのは本当だったようだ。天然理心流近藤周助の試衛館に入り、近藤勇とは同門。子母沢寛著『新選組始末記』によると、北辰一刀流の目録を持った藤堂平助や山南敬助なども、竹刀を持っては総司に子ども扱いされた、本気で立ちあったら師匠の近藤勇でもやられていただろう、と書かれている。そして、冗談好きで女遊びはせずに、子どもと鬼ごっこをするような純粋さも持ち合わせていた。女性に対してもたいへん純情で、相思相愛だった医者の娘のことは、彼女が嫁いだ後も長いこと忘れられなかったという。また、容姿についても、「いうにいわれぬ愛嬌があった」と菊池寛も記しているように、沖田総司はまわりの人間から、たいへん好感を持たれる人間であったようだ。そのような愛すべき性格が、後の早世した美剣士伝説をつくり上げたのかもしれない。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全2」 JLogosID : 14820120 |