水戸黄門
【東京雑学研究会編】
§水戸黄門は悪をよく知る男だった?
正義の味方よろしく、葵の紋どころ入りの印籠を出して「ここにおわすを誰と心得る。先の副将軍・・」とお決まりの台詞で、伝家の宝刀である印籠を出して、悪代官や欲深い商人をさばく水戸黄門。
これはテレビ番組上のことであるが、実際にも民政に尽力し、文化事業に熱心な名君として名高かった。
ところが、そんな水戸黄門であるが、若い頃はグレていたのだという。幼少の頃は利発で勇敢なことで知られ、いかにも優等生らしい性格だった。ところが、思春期を迎え、黄門さまにも青春の兆しが……。これまで、素直でいい子だったのに、人格が変わったかのようにグレ始めたのである。
まず、服装が派手になり、屋敷を抜け出しては遊廓にたむろして、酒色に耽溺した。態度もふてぶてしく、気に入らないと脇差しを抜いて暴れ出すので、周囲もほとほと手を焼いていたらしい。
多感な青春期にはありがちな話なのだが、黄門様の場合は度が過ぎていた。光圀の養育係であった小野角右衛門言員も手を焼いて、嘆いたという手紙が残されているくらいだ。
「あれでも東照権現様の御孫か、水戸様の御世継ぎかと、旗本衆が噂しているのをご存じか」
黄門様の乱行は一三歳から一八歳まで続き、その後パタッとやむ。たまたま手にした中国の『史記』に感銘を受け、学問に身を入れるようになったのである。
つまり、何事も中途半端はなかったということだ。遊ぶときは一生懸命遊び、学ぶときは誰よりよく学んだということなのだろう。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670915 |