夏目漱石
【東京雑学研究会編】
§夏目漱石の意外な一面
お札のデザインにも用いられている夏目漱石は日本を代表する純文学作家で、『坊っちやん』『我輩は猫である』『三四郎』『それから』など、今もたくさんの人に愛読されている。
夏目漱石は東京大学を卒業し、国費でイギリス留学した後、母校の東京大学で英文学を教えるなど、当時の超エリートとしての経歴をたどっていたのだが、その偉大な文業からは想像もできないほど癇癖な一面も持っていたようだ。
東大で講義を受け持っていた頃、ある日、漱石が学校の図書館の教授閲覧室で調べものをしていたら、隣の事務室から事務員たちの話し声が聞こえてきた。
たいていの人なら「うるさいな」と思っても我慢してしまうか、あるいは「静かにしてくれませんか?」と注意するくらいで終わってしまうことだろう。
ところが漱石は突然、顔中まっかにして、
「静かにしろ!」
と怒鳴ったのだ。
それでも静かにならなかったため、東大の学長に「図書館の事務員たちがうるさい。どうにかしてほしい」という内容の抗議文書を送りつけてしまった。
あまりにも幼稚で感情的なやり方に、学長も相手にせず、抗議文書は無視されてしまったというが……。
漱石は最初、二松学舎で漢籍を学んでいたが文明開化の時代に漢文では身を立てられないと、成立学舎で英語を学び、専攻を英文学に変えた。趣味の漢文の文学より、当時の国家有用の事業としての英文学を選んだのだ。
一九〇〇(明治三三)年、文部省によってイギリス留学を命ぜられ、ロンドンでは下宿にこもって猛勉強をしたが、激しい神経衰弱にかかってしまう。漱石は文学における言葉の違い、特に感性にうったえる面での違いから壁に突き当たり、そのために神経を病んでゆき、日本では漱石発狂の噂まで飛んだ。
帰国後、東京大学でロンドンでの苦悶の思索をもとに文学論の講義を行っていたが、あまりに難解で高度な内容のため、学生には不評だったようだ。
神経衰弱は帰国後も続き、幻聴や被害妄想に悩まされたという。漱石が癇癪を爆発させたエピソードも英文学に行き詰まった果ての苦悩の一側面だったのかもしれない。
| 東京書籍 (著:東京雑学研究会) 「雑学大全」 JLogosID : 12670709 |