三本の矢
【さんぼんのや】
戦国武将の毛利元就(1497~1571)が三人の息子たちに対し、結束して毛利家を盛り立てるように諭した言葉として知られる。
元就は当初、安芸国(現在の広島県)の一領主で、中国西部、北九州一帯を支配した大大名・大内家に服属。やがて大内家で重臣・陶晴賢(1521~55)がクーデターで実権を握ると、元就は1555年の厳島の戦いで晴賢の大軍を少数で撃破し、中国地方で勢力を急拡大した。
しかし当時の毛利家は権力基盤が安定しておらず、元就は1557年、長男で嫡子の隆元、次男で吉川家の養子となった元春、三男で小早川家の養子となった隆景に対し、14か条に渡る「三子教訓状」で一族の結束を説いた。
「一本の矢はたやすく折れるが、三本の矢が束になれば折れない」という趣旨の「三本の矢」のエピソードが名高いが、これは「三子教訓状」を基にした後世の創作と言われる。
2012年12月に発足した安倍内閣は、経済政策の3本柱である「金融緩和」「財政政策」「成長戦略」を掲げ、毛利家とゆかりのある山口県選出の安倍晋三首相は「3本の柱」と命名。
13年1月7日には、経団連など経済3団体の新年祝賀パーティーで「デフレ脱却と過度な円高を是正するため、大胆な金融政策や機動的な財政政策。
さらには民間の投資を引き出す成長戦略の『3本の矢』によって経済を成長させていく」(日経QUICKニュースより)と経済再生への決意を語った。
安倍政権の経済政策では3つの司令塔を設置。民主党政権時代に休眠していた「経済財政諮問会議」を復活してマクロ経済(経済財政政策など)の方針を策定する。
また、企業や家計などミクロ経済の視点からは新設の「日本経済再生本部」で成長戦略を描き、その傘下に「産業競争力会議」を置いて具体策を立てていく。
| 時事用語のABC (著:時事用語ABC編集部) 「時事用語のABC」 JLogosID : 14425449 |