タクシー
【たくしー】
人力車の動力化、タクシーの歴史
わが国にタクシーが登場したのは一九一二(大正元)年のことである。人力車を動力化したものがタクシーだといえよう。今のような流しのタクシーは大正一〇年に生まれたもので、当初のタクシーは、一定の場所に待機し、求めに応じて運行するというハイヤーの形態をとっていた。
タクシーが一般化し、急激に成長したのは昭和初期、「円タク」が出現してからのことだ。東京市内どこへでも一円で行けたことからこの名が生まれた。現在これと同じ料金形態をとっているものに乗合バスがある。
欧米諸国では、一定の場所に待機し、客の求めに応じて走る営業形態のタクシーが多い。これを辻待ち自動車(taxicab)という。それを略して、日本でもタクシーと呼ぶようになった。正式な名称は「一般乗用旅客自動車」といい、道路運送法には「一個の契約により、乗車定員一〇人以下の自動車を貸し切って旅客を運送する一般自動車運送事業」とある。乗車定員が一〇人以上の自動車は、貸切バスあるいは乗合バスである。
料金均一の円タクで人気のあったタクシーも、昭和一三年からは運賃のメーター制に移行。戦後はますますタクシー需要が高まり、大都市から地方都市へ、そして町村へも普及していった。
しかし、競争が激化してくると、大都市では交通法規を無視した無暴運転をするタクシーが増え、「神風タクシー」の新語を生んだ。運転手の質は低下し、交通事故も多発、白タクも横行した。それらを抑制するために、個人タクシーの制度が生まれた。法人タクシーと個人タクシーが競い合うことになったのである。昭和三四年にまず東京で、翌年には関西でも個人タクシーが認可された。
| 日本実業出版社 (著:浅井 建爾) 「道と路がわかる事典」 JLogosID : 5060140 |