都市建設
【としけんせつ】
日本で最初に建設された都市はどこか?
日本で最初に建設された都市はどこだったのか、また、その都市にはどのような道路が張り巡らされていたのだろうか。
わが国は四世紀頃から、大和を中心とする権力者の集団により、国家として統一されつつあったが、まだ都市としての形態を整えるまでには至っていなかった。国家体制が確立されたのは、飛鳥を舞台に繰り広げられた大化改新(六四五年)以後のことであった。
その新しい国家の首都として造営されたのが藤原京である。街の区画にあたっては条坊制を採用し、最近の調査によると東西五・三km(二〇坊)、南北四・八km(一八条)の範囲内に、整然と区画された碁盤目状の街路を張り巡らせていた。これは唐(中国)の長安(北京)をモデルにしたものである。
藤原京は、現在の奈良県橿原市と明日香村にかかる地域で、六九四(持統八)年から七一〇(和銅三)年までのわずか一六年という短い期間ではあったが、日本で最初の都市、すなわち都城制を敷いた初めての都であった。
都は平城京へ、そして平安京へと移っていったが、条坊制という街路の理念は変わることがなかった。東西、南北を直線で結ぶのが最も機能的だという中国の街路に対する考え方が、そのまま日本にもたらされ、その伝統が脈々と受け継がれてきたといえる。今でも京都はもちろん、札幌など北海道の都市では、○条○町(○丁目)など、住所名として使われている。
碁盤目状の道路は、明治以降に開発された北海道の都市にも生かされている。札幌や旭川など、北海道のほとんどの都市は、碁盤目状の街路である。中国からもたらされた道の文化が、日本の風土にマッチし、日本の道の文化として定着したといえる。
| 日本実業出版社 (著:浅井 建爾) 「道と路がわかる事典」 JLogosID : 5060077 |