考古学②
【こうこがく】
■3 ファイバースコープで新発見が続出した「キトラ古墳」…考古学にも最先端科学技術が貢献
近年の考古学研究には最新の科学技術が駆使され、さまざまな謎の解明に寄与している。しかも、これまでの遺跡調査は主に発掘調査であり、どうしても遺跡自体の破壊が伴ったが、現代の精密機器を使うことで、それが最小限に抑えられるようになったのである。
キトラ古墳(奈良県高市郡明日香村)もそうだ。7世紀末から8世紀初頭のものとされるこの古墳に外から小さな穴を開け、そこからファイバースコープを通して石室内の様子を調査したのは、1983年のことである。このとき、石室の北部壁面に四神(中国で天の四方を守るとされる霊神)のうちの一つ、玄武の壁画が確認された。
さらに1998年に再度調査をおこなったところ、新たに四神の白虎と青龍が、それぞれ西部壁面と東部壁面に見つかると共に、天井にはアジア最古級の天文図(星宿図)という画期的なものも発見されたのである。
2001年1月にもファイバースコープが挿入され、南部壁面に残る朱雀も見つかり、我が国で四神すべてが揃う初の古墳となった。また、同年12月には文化庁が調査をおこない、先の天文図の北斗七星などの星々に、金箔が施されていると判明した。
さらに撮影した画像を解析したところ、2002年1月、獣頭人身が1体描かれていることもわかった。背丈は約20センチ。真っ赤な襟と茶褐色のヒダがついたコートを身にまとい、帯を締めているが、口は犬のように大きく、くっきり牙がのぞいている。人間ではない。東部壁面下に位置することから、おそらくこの怪物は十二支像のうちの「寅」ではないかと推定されている。とすれは、残り11体も描かれていた可能性が高い。
いずれにせよ、発掘することなく、古墳内に壁画があり、なおかつそれが一級の文化財であることが判明したのは、現代科学の大いなる成果だといって良いだろう。
なお、「キトラ」の名前の由来は諸説あるが、付近の地名「北浦」から来ているという説が有力である。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625119 |