お茶
【おちゃ】
■11 茶祖・栄西が書いた『喫茶養生記』の中身とは? …お茶は心臓病などに効く「万能薬」
お茶が中国から日本に入ってきたのは、遣唐使が往来した奈良時代の頃だと考えられているが、平安時代には、貴族や僧侶のあいだで、お茶を愛飲する者も少なくなかったようだ。
『続日本紀』に続く歴史書である『日本後記』に、815年に嵯峨天皇が近江国(滋賀県)の梵釈寺に立ち寄ったとき、大僧都永忠が自ら煎じたお茶で接待したという記録が残っていることでも、それがわかる。
だが、日本で大々的に茶の効用を説き、国じゅうに茶を広めようとしたのは、鎌倉時代に臨済宗を興した栄西である。そんなことから栄西は「茶祖」と呼ばれている。
彼が日本に茶のすばらしさを紹介しようと考えたのは、宋に留学していたときのことだ。真夏に修行で行脚していて、余りの暑さに倒れそうになったが、茶を服用したところ、身体がさわやかに、そして涼しくなって、気分爽快になったのである。そこで栄西は、お茶というものに、暑いときは涼しく、寒いときは温かくしてくれるという効能があることを知った。
興味を持った彼は、宋に滞在中、折をみては茶について研究し、茶種を持って帰国する。
持ち帰った種を植えた場所は、肥前国(佐賀県)と筑前国(福岡県)の境にある背振山だったといい、ここで栽培された茶種が畿内から関東まで広く伝わっていったとされている。
栄西はその後、さらに茶の研究を進め、1211年、茶に関する日本初の効能書『喫茶養生記』を著した。鎌倉幕府の3代将軍・源実朝が病にかかったため、栄西が平癒の加持祈祷をおこなったが、そのときこの『喫茶養生記』を贈呈し、たいへん将軍に喜ばれたという記録も残っている。
栄西は同書の冒頭で、「中国ではお茶は養生の仙薬であり、延命の妙術だ」と述べ、「このお茶によって我が国の医学に新風を吹き込むつもりだ」と語った。
さらに、「とくに茶の苦みは、五臓六腑のなかでもっとも大切な心臓に劇的に効く。心臓が健康であるなら、すべての臓器はきちんと機能するわけだから、茶はまさに万能薬なのだ」と強調している。
また、茶にはほかにも、二日酔い、眠気、倦怠感の解消など、さまざまな効能があるとも書いている。
では、当時はどのようにしてお茶を飲んだのだろうか?
この書には、「極熱の湯を以て之を服す。方寸の匙二、三匙、多少は意に随ふ」とあり、どうやら現在のような煎茶ではなく、茶の粉末を数杯匙にとって混ぜるといった「薄茶方式」だったようだ。
栄西は書のなかで、
「貴いかな茶や。上は諸天の境界に通じ、下は人倫の美を資く。諸薬は各々一種の病の為の薬なり。茶は万病の薬たるなり」
と、お茶についてベタ褒めしている。
ちなみに、『喫茶養生記』には、お茶以外にもちょっとおもしろい記述がある。何と、あのカイコが食べる桑についての効能が記してあるのだ。それによると、皇慶という僧侶が病に倒れたとき、夢に帝釈天が現れ、桑を服用せよと告げて去ったことから、桑の薬効が中国で知られるようになったという。桑湯や桑粥は糖尿病、中風、食欲不振、脚気などに効き、桑の実もまた、無病のもとだと記している。加えて、桑木枕は悪夢を避けるとも言うのだから、カイコだけに食べさせておくのは、ちょっともったいない気がしてくる。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625112 |