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日本史の雑学事典第6章 武術の巻 > 室町時代

足利義輝
【あしかがよしてる】

■1 日本史上、もっとも強かった将軍様は?…武術を学び、腕を磨いた剣豪将軍・足利義輝
 江戸時代に隆盛を誇る剣術の諸流派の源流は、戦国時代に端を発するやはり、乱世が武技を盛んにさせたのだろう
 こうした剣術に魅せられ、当時の剣豪から奥義を伝授された将軍がいる。足利義輝である
 室町幕府の12代将軍・義晴の子として1536年に生まれた義輝は、11歳で13代将軍となったが、その当時、幕府の力は衰微し、三好長慶や松永久秀が京都を制圧しており、将軍の存在は実権を伴わない象徴に成り下がっていた。義輝も三好氏に圧迫され、他大名を頼って畿内を点々としていた。
 だが、当時、将軍の側近くに仕えていた人物が書いたとされる『穴太記』に「天下を治むべき器用あり」とあるように、成人すると義輝は幕府再興に向けて動き出し、盛んに諸大名に書簡を送っては上洛を促すようになった。自分の権威を楯に、地方大名の力を利用して、三好一族や松永久秀を押さえ込んでしまおうと考えたのである。その結果、1559年には、上杉謙信(長尾景虎)を、5千の兵と共に上洛させることに成功している。
 京都の覇者となった松永久秀は、実力を備え始めた義輝に恐れをなし、表面上は仲良くする素振りを見せながら、陰で将軍暗殺計画を練った。
 ただ、将軍を抹殺するのは、並大抵のやり方では成功しないだろうと考えていた。
 というのは、義輝が一流の剣豪だからである
 義輝は、全国に名高い剣客である塚原ト伝が武者修行中に上洛したのを聞き、屋敷に彼を招いて自分に剣技を伝授せよと命じた。はじめト伝はこれを固辞したが、将軍が余りに熱心に懇願したので、数か月間都に留まって義輝を指南した。義輝の太刀筋は天才的で、ついにト伝は、新当流の奥義「一ノ太刀」を伝授したという。
 義輝はこれだけで満足せず、一宮随巴斎に弓を、小笠原氏隆に兵法を学び、さらに新陰流を開いた上泉信綱を招いて秘技を修得している。
 したがって、並の刺客では、逆に将軍に討ち取られてしまう。多人数で、メッタ切りにするしか術はなかった。だが、数百人の兵が京都に入れば、義輝は事態を察して、身を隠してしまうだろう
 1565年は、清水寺総詣の最中であった。そこで久秀は、同寺の参詣客に刺客を紛れ込ませ、数人ずつの団体で都入りさせた。
 義輝の二条屋敷は鉄壁の備えがしてあって、侵入するのが困難だったが、久秀は三好一族のなかから演技のうまい者を選び、嘆願書を持たせて屋敷へ出向かせ、涙ながらに「将軍に直訴したいことがある」と訴えた。勘の鋭い義輝なら見破ったろうが、使者は義輝の母親に泣きついたのだ。母親は彼らの言い分を聞いてやってくれと哀願、ついに屋敷内に入れてしまった
 使者は、隙を見てこっそり木戸を開けておき、やがてそこから大勢の刺客がなだれ込んだ。
「もはや致し方なし」と思ったのだろう。義輝は部下と最後の酒盛りすると、所有する刀数十本の鞘を払って抜き身にし、次々と自分の周りに突き立てていった。
 さすがは剣豪将軍である。近づく刺客は、すぐさま屍になって転がった。刀に油が乗ると、それを捨て、畳に突き立てた次の刀に手を伸ばした。信じられないことに、義輝が仕留めた敵は、30数名に上ったという。
 だが、ついに力尽きてよろめいたところを、長槍で池田丹後守という者が足払いし、倒れたところにたくさんの襖を被せ、その上から大勢でメッタ刺しにし、ようやく義輝の息の根を止めたと伝えられる
 それにしても、何ともすさまじい将軍である




日本実業出版 (著:河合敦)
「日本史の雑学事典」
JLogosID : 14625070


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:河合敦
価格:1,404
収録数:136語
サイズ:18.6x13x2.2cm(四六判)
発売日:2002年6月
ISBN:978-4534034137

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