千葉氏
【ちばし】
■3 おならが原因で衰退してしまった千葉氏…名族にふりかかった笑えない事件とは?
まさに、ウソのような本当の話である。
おならが原因で衰退した千葉氏の逸話だ。この話は、『関八州古戦録』に載る。
1588年正月、佐倉城主・千葉邦胤のもとに家臣たちが続々と年賀に訪れた。この時代、小田原北条氏の配下に属していたものの、千葉氏は中世以来の名族である。年賀の礼が終わると、家臣らは書院で饗応を受けた。
このとき、配膳をしていた邦胤の近習で18歳の鎌田万五郎が、あろうことか2度も放屁したのである。「このめでたい席で屁をしるとは無礼ぞ!」と邦胤が怒ると、万五郎は、「出物腫れ物ところ嫌わず」と満座で主君に口答えをした。激怒した邦胤は、万五郎を蹴り倒して脇差しに手をかけ、成敗しようとしたが、これに驚いた家臣が主君を止めたため、ようやく事なきを得た。
数か月間の謹慎処分で許されはしたものの、この措置を深く恨んだ万五郎は、同年7月4日、邦胤の寝所へ忍び込み、寝ている邦胤にいきなり斬りつけたのだ。
物音に気がついた宿直が驚いて駆けつけると、邦胤は血だらけになって倒れ、「万五郎にやられた」と言って絶命した。他方、万五郎も逃げ切れないと覚悟を決め、近くの林で切腹して果てた。
その結果、邦胤の子・千鶴丸がわずか6歳で千葉氏の家督を継いだが、小田原北条氏は、子供に重要拠点は任せられぬと、城主に原胤成をすえ、千鶴丸を小田原城へ入れた。
つまり、名族・千葉氏は、放屁が原因で城を失ったのである。
| 日本実業出版 (著:河合敦) 「日本史の雑学事典」 JLogosID : 14625016 |