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暦の雑学事典3章 暦の進化史 >

日本の暦③
【にほんのこよみ】

江戸時代の4度の改暦

◆渋川春海による初の国暦・貞享暦
 江戸に幕府が開かれて学問がさかんになると、八二三年間にわたって使われてきた宣明暦の誤りが指摘されるようになった。カレンダーとしての利用に不便はなかったが、日食・月食の予測がはずれるようになったからだ。
 そこで、幕府は暦法に通じていた幕府碁所の渋川春海(はじめ安井算哲、のち保井姓、渋川は晩年の姓)の上表を受けて、一六七三~七五年の日食・月食の予測を、宣明暦、授時暦(金の大明暦を修正した一三世紀の元の暦)、大統暦(一四世紀の明の暦法)の三暦法で比較してみることにした。授時暦は西洋天文学が導入される以前の中国における最も優秀な暦である。渋川春海はじめ他の改暦論者が推挙していたのはこの授時暦で、大統暦は参考用であった。
 ところが、皮肉なことに一六七五年の日食の予測は宣明暦だけが的中し、授時暦は大統暦とともに失敗するという事態が起き、改暦の件は頓挫してしまった。宣明暦の予測が的中したのは偶然であるが、新暦候補であった授時暦の予測がはずれたのは、中国の暦法をそのまま日本に適用したことによる。そこで、渋川春海はヨーロッパ天文学の成果をもりこんだ中国の天文学書『天経惑問』から最新の知識を吸収しながら、中国と日本の里差(地方時の違い)などを加えた大和暦を考案し、初の国暦である大和暦は貞享元年に採用が認められ、貞享暦という名で翌年(一六八五年)から頒暦されることになった。こうして、漢伝五暦(元嘉暦、儀鳳暦、大衍暦、五紀暦、宣明暦)の時代は終わり、国暦の時代が始まったのである
◆寛政暦を修正した天保暦は最も精緻な太陰太陽暦
 江戸時代における二度目の改暦は、八代将軍・吉宗の時代に行なわれた宝暦の改暦(一七五五年)である。しかし、これは禁書令を解いて科学技術書を積極的に輸入した吉宗の趣味的改暦といった面が強く、貞享暦よりむしろ退化した暦法であった。施行後九年目で早くも日食予測に失敗したため、一七七一年に修正宝暦暦が頒布されるが、これも次第に誤差が大きくなってしまい、幕府はやむなく高橋至時・間重富らの民間学者にも協力を依頼して改暦を進めることになった。これが寛政の改暦である(一七九八年)。
 寛政暦は中国・清の時憲暦を参考に、中国と日本の里差を加え、さらに高橋至時・間重富の師である麻田剛立の暦算を導入したものである。時憲暦にはイエズス会宣教師が中国に紹介したヨーロッパ天文学が導入されており、寛政暦にも間接的にヨーロッパ天文学の成果が反映されている。しかし、この寛政暦も施行から四〇年たつと、天体の運行との差を無視できなくなり、そこで渋川景佑(高橋至時の次男)を中心に再び改暦が行なわれた(一八四四年)。これが明治改暦によるグレゴリオ暦導入(一八七三年)まで使われた天保暦である。今日、旧暦と呼ばれるものは、天保暦の置閏法に基づく太陰太陽暦のことである




日本実業出版社 (著:吉岡 安之)
「暦の雑学事典」
JLogosID : 5040070


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:吉岡 安之
価格:1,404
収録数:198
サイズ:18x13x1.8cm(-)
発売日:1999年12月
ISBN:978-4534030214

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