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暦の雑学事典3章 暦の進化史 >

日本の暦②
【にほんのこよみ】

800年使われた宣明暦

◆天文・暦術より卜占を重視した陰陽寮
 大宝律令(七〇一年施行)によって整備された古代日本の官庁組織は、太政官と神祇官の二官と、中務省、式部省、治部省、民部省、兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省からなり、「二官八省」と呼ばれた。八省のうち最大の規模をもつ中務省は、天皇の側近にあって詔勅の文案を吟味したり、国史の監修をしたり、諸国の戸籍を管理したりする官庁である。会社でいうなら秘書室や総務部に相当する。この中務省のもとには、中宮職、左右大舎人職、図書寮、陰陽(おんみょう・おんよう)寮などが置かれ、暦に関しては陰陽寮の所管となっていた。陰陽寮の職員は長官である陰陽頭を筆頭とする事務官と、専門職である陰陽博士、暦博士、天文博士、漏刻博士、および教官や研究生などで構成された。
 日本の律令制度は唐の制度をまねたものである。しかし、唐においては科学的な天文・暦術と、非科学的な卜占とは別組織となっていたのに、日本においては暦・天文・気象・時刻・卜占などは、すべて陰陽寮が司っていた。というよりも、その名が示すように陰陽寮の主要な仕事は呪術的・迷信的な卜占すなわち陰陽道であり、暦や天文に関する事がらは陰陽道の支配を受けていたのである物忌みや方違えなどの迷信が、日本の暦の中に入り込んだ理由もここにある。
 奈良時代初頭(七一七年)、遣唐留学生として唐に渡った吉備真備は、一八年間に及ぶ留学期間に、天文・算術・暦法のほか、陰陽・卜占・方術その他の秘術を習得して帰国した。
◆吉備真備がもち帰った大衍暦
 吉備真備が唐からもち帰ったのは、施行されてまもない大衍暦であった。帰国後の吉備真備は政争に巻き込まれて九州に左遷されたりするが、彼のすぐれた暦学が認められ、それまでの儀鳳暦にかわって大衍暦が日本の公式暦として施行されることになった(七六三年)。しかし、日本において大衍暦が施行された頃、中国ではすでに五紀暦が使われていた。この五紀暦は七八〇年に遣唐使が日本にもち帰ったものの、誰も学習するものがなく大衍暦が一〇〇年近くも使われつづけた。
 五紀暦への改暦は、平安時代の八五七年、暦博士の大春日朝臣真野麻呂の上申によってようやく実現したが、二年後の八五九年、渤海国の大使が当時の中国で使われていた宣明暦をもたらした。真野麻呂が試したところ、非常にすぐれた暦であることがわかり、改めて宣明暦が採用されることになった(八六二年)。
 中国ではその後もたびたび改暦されたが、日本では八三四年の派遣を最後に遣唐使が中止(八九四年に菅原道真が廃止)されて国交がとだえたため、中国の新暦が伝わらなくなってしまった。こうして江戸時代に初の国暦である貞享暦が施行されるまで、何と八二三年間の長きにわたって、日本では宣明暦が使われつづけることになったのである




日本実業出版社 (著:吉岡 安之)
「暦の雑学事典」
JLogosID : 5040069


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:吉岡 安之
価格:1,404
収録数:198
サイズ:18x13x1.8cm(-)
発売日:1999年12月
ISBN:978-4534030214

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