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暦の雑学事典3章 暦の進化史 >

マヤ暦・アステカ暦・インカ暦
【まやれき・あすてかれき・いんかれき】

◆マヤ暦では同じ日付は五二年に一度しかやってこない
 スペイン人による植民地支配が始まるまで、中米・南米のインディオ社会では特異な太陽暦が使われていた。中米のマヤ暦、アステカ暦、南米のインカ暦である。西暦前から西暦一〇世紀頃まで、ユカタン半島周辺に開花したのがマヤ文化。一方、一四世紀から一五二一年のスペイン人コルテスによる征服まで、テノチティトラン(現在のメキシコ市)を中心に繁栄を誇っていたのがアステカ文化である。マヤやアステカでは太陽が神とされ、宗教行事や農作業は太陽の運行にあわせて行なわれていた。マヤにおいては西暦前六~七世紀の昔に、一太陽年を三六五・二四二〇日と計測していたことが知られている。現在、観測される平均太陽年は三六五・二四二二日であるから、マヤではきわめて高度な天文学が発達していたことになる。
 マヤ暦では一か月が二〇日からなる二種の暦があった。一三か月二六〇日を一年とする宗教暦と、一八か月三六〇日と五日の追加月(合計三六五日)を一年とする常用暦である。この常用暦は太陽暦の一種であり、月の満ち欠けとまったく調和していない。マヤでは月や星の運行には関心がもたれず、極端なまでに太陽中心の世界観がもたれていたようだ
インカ暦の一年は一二か月
 マヤ暦においては、宗教暦の二六〇日周期(一三か月×二〇日)と、常用暦の三六五日周期とを組み合わせて日付が定められた。二六〇日と三六五日の最小公倍数は、一万八九八〇日すなわち五二年となる。何とマヤ暦においては、五二年周期でようやく同じ日付がめぐってくることになる。宗教暦は祭祀の日取りの決定に、常用暦のほうは農作業や日常生活のスケジーュル管理に使われたようだが、では五二年周期の日付はいったい何を目的としたものだろうか。アステカ暦もマヤ暦の体系を踏襲している。アステカ人は五二年周期の最終日が無事に過ぎ、新たな周期が始まると盛大な祝宴を張った。どうやらマヤやアステカの人々は、五二年周期の最終日は宇宙が破滅するという終末的信仰をもっていたらしい
 南米アンデス一帯に勃興したインカ帝国でも太陽が崇拝されていたが、インカ暦ではマヤ暦やアステカ暦と違って、季節との調和が図られている。インカ暦の一年は一二か月からなるが、太陽が夏至の位置にくる日を起点として、一年は夏と冬に二分され、それぞれがさらに二分されて四季と対応づけられた。インカ帝国は一五三二年、スペインのピサロの謀略によって滅亡し、一九世紀にペルーとして独立するまでの三〇〇年間、スペインの植民地支配を受け、その間、グレゴリオ暦とともにカトリック文化が浸透した。ただ、ペルーの年間行事にはインカ暦基づくものが多く残っている。




日本実業出版社 (著:吉岡 安之)
「暦の雑学事典」
JLogosID : 5040059


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:吉岡 安之
価格:1,404
収録数:198
サイズ:18x13x1.8cm(-)
発売日:1999年12月
ISBN:978-4534030214

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