ギリシア暦
【ぎりしあれき】
大ざっぱな古代ギリシア人
◆ヘロドトスもエジプト暦の合理性を認めていた
西暦前五世紀のギリシアの歴史家ヘロドトスは、エジプトの太陽暦について次のように述べている。「暦の計算の仕方はエジプト人の方がギリシア人よりも合理的であるように私には考えられる。なぜかというと、ギリシア人は季節との関連を考慮して、隔年に閏月を一カ月挿入するが、エジプトでは三十日の月を十二カ月数え、さらに一年について五日をその定数のほかに加えることによって、季節の循環が暦と一致して運行する仕組みになっているからである」(ヘロドトス『歴史』松平千秋訳)。
ギリシアの暦もまた古代の他の国々と同様に太陰暦から始まった。しかし、大の月(三〇日)と小の月(二九日)を交互に繰り返す太陰暦では、一年間の日数は三五四日にしかならず、イスラム暦のように、季節と暦はどんどんずれていく。そこで、西暦前六〇〇年頃のソロンは、隔年で三〇日の閏月を挿入して季節との調整を図った。ヘロドトスが紹介しているのは、このソロンの置閏法である。アリストファネスは喜劇『雲』において、頼りにならない当時のギリシア暦のことをからかっているが、これはソロンの置閏法では一年の日数が、毎年、四日ずつ多くなってしまうからだ。
◆メトン法はバビロニアや中国で発見されていた
西暦前五世紀のオイノピデスは、五九太陽年が七三〇朔望月にほぼ等しいことをみいだしたが、それを暦に反映させることはできなかった。その後、西暦前四三三年にアテネの天文学者メトンが、一九太陽年が二三五朔望月にほぼ等しく、一九年に七回の閏月を置くすぐれた置閏法を発見した。これは十九年七閏法あるいはメトン法と呼ばれる。
「一九×三六五・二四二二(一太陽年)日=六九三九・六〇一八日、六九三九・六〇一八日÷二九・五三〇六日(一朔望月)≒二三四・九九七〇月」。したがって、「一九太陽年≒二三五月=一二×一二月(平年)プラス七×一三月(閏年)」となる。ただ、十九年七閏法はメトン法より半世紀前のバビロニアですでに知られていて、メトン法はこれを借用したともいわれる。中国ではすでに西暦前六世紀の初め(春秋時代)に採用している。また、前四世紀のギリシアのカリッポスは、一九年周期を四倍にした七六年周期の置閏法を提唱したが、これも前五世紀の中国ですでに知られていたから、こと暦法に関してはギリシア人が先取権を誇れるものはあまりない。ローマ人もそうだが、ギリシア人は暦に関してかなり大ざっぱであった。それでも不便を感じなかったのは、ともに多神教で神々の祭日がカレンダーがわりになっていたからだろう。
| 日本実業出版社 (著:吉岡 安之) 「暦の雑学事典」 JLogosID : 5040054 |