1.砂場
【すなば】
東京の老舗そば屋のなかで、もっとも長い歴史を持つのが「砂場」である。そしてその発祥の地が大阪だったらしいことが、近年知られるようになってきている。大阪をうどん、江戸はそばというのが、われわれの常識だったので、これはすこし意外なことであった。
宝歴元年(一七五一)ころの文献に大阪で「砂場そば」を名乗っていた「和泉屋」の関連が江戸へ進出し、初めて江戸に「砂場」の名が登場する。時代は、江戸町人が、当時の中産階級を形成したころで、「砂場」は次第に江戸っ子の高い評価を得たらしい。現在、東京でもっとも古いそば屋と言われる「巴町砂場」は、その前身が「久保町砂場」といい、天保十年(一八三九)に現在地に移転し、明治時代の町名変更で「巴町砂場」となった。また、嘉永元年(一八四八)ごろの文献に麹町七丁目「砂場藤吉」の名がある。これが現在の「南千住砂場」の前身である。大正元年(一九一二)に現在地に移転した。
「虎の門砂場」は明治五年(一八七二)創業。麹町七丁目藤吉より暖簾分けされた。「室町砂場」は江戸末期、東京高輪の魚籃坂で開業。そののち、明治二年(一八六九)に日本橋室町に移転した。支店の「赤坂砂場」を昭和三十九年(一九六四)に開業している。
昭和三十年(一九五五)、暖簾会「砂場会」が結成された。戦争を挟んで、長い年月の間には、出自などをめぐって、紆余曲折があったものの、これは「砂場」を名乗る暖簾同士でその発展を願う親睦会になった。会員はいまや一八〇名になるという。その成果は昭和六十年(一九八五)三月、大阪新町公園に「ここに砂場ありき」の石碑を建立してその実を結んだと言えよう。
なお「砂場」のそばの特徴といえば、更科に似て繊細、辛くはないが味わいのしっかりしたつゆを基に、たとえば南千住のとろろそば、虎ノ門の梅そば、室町のてんもり等々、それぞれの店が創意工夫に励んでいる。
| 東京書籍 (著:見田盛夫/選) 「東京-五つ星の蕎麦」 JLogosID : 14071318 |