ジンの基礎知識
歴史と概要
ストレートでたしなむ通もいるが、一般的にはカクテルベースとして知られているスピリッツの一つがジン。また多くの蒸溜酒の中では、生まれ育ちがはっきりしている稀有な酒でもある。そしてどんな酒よりも波乱に富んだ歴史をたどったのもこのジンだ。
ジンといえば英国が有名だが、歴史をひもとくと実はオランダに行きつく。始まりは1660年。当時オランダの名門・ライデン大学の医学教授だったシルヴィウス博士が、植民地で猛威を振るっていた熱病の特効薬として開発したものなのだ。博士は、病原菌を体内から排出する利尿や解熱効果を研究した末、ライ麦を原料にして造ったアルコールにジュニパーベリー(ネズの実=中国で古くから漢方の生薬として利用されていたもので、日本ではネズミサシとも呼ばれる)を浸透させて蒸溜する薬用酒を考案。これを商品化したところ、薬用効果に加え、それまでの酒とはひと味違う爽やかな味わいが受け、薬ではなく一般の酒類として一躍オランダを代表する蒸溜酒となる。
当時はジェネヴァと名づけられたこの酒が、ジンの名で呼ばれるのは英国で大いに飲まれるようになってから。ジェネヴァを縮めて呼んだものである。
ウイスキーはもとより、ブランデーといいジンといい、世界で多く飲まれている酒の名称が、英国で定着し広まったというのは面白い。英国が世界を席巻していた時代に、嗜好品としての酒類が集まったのだろうが、酒好きな国民だったともいえそうである。
さて、その英国でジンが愛飲されるのは、1689年に国王の座に就いたウイリアム3世が広めたことによる。同国王はもとはオランダ随一の貴族の出。イングランド王家の娘メアリーと結婚した後、議会によって追放されたジェームズ2世の後を襲ったもので、王位に就くと、オランダ時代に親しんでいたジェネヴァを国民に推奨。同時に英国での製造を奨励し、酒税を低くするなどの保護政策を実施した。「ビールよりも安価でうまい酒」として人気を博し、30年後には本家オランダの生産量を超えるほどに発展した。
ただし、安いことから飲みすぎて死に至る者が出たり、泥酔の果ての暴力沙汰が起きるなどの弊害が続出し、1736年に消費を抑えるため酒税の引き上げが行われた。しかし、密造された粗悪品が次々登場するに及んで、再び税率を下げると同時に、製品の質を高めさせる法律を施行。さらに1830年頃に連続式蒸溜器が導入され、それまでのものに比べドライなタイプが造られるようになり、格段に洗練されたジンが誕生する。
その後アメリカへ輸出されるが、ここで19世紀後半、スピリッツなどの酒に数種の飲み物を混ぜるカクテル(古代からあった飲み方だが、それを近代風にアレンジ)が流行。特にジンは果汁などを加えると、切れ味を残しながらあの独特なやに臭さが消えることから、ベースとして最も好まれる酒となる。マティーニ、ジン・トニック、ジン・フィズ、ホワイト・レディ、ギムレットなど絶品カクテルが次々と生み出された結果、カクテル作りの技とともに世界中に広がった。ジンを語るとき「オランダで生まれ、英国で洗練され、アメリカで栄光をつかんだ」という表現が使われるが、まさにジン歴史物語のキャッチフレーズとしてはぴったりである。
原料と製法
ジンの原料として使われるのは大麦麦芽やライ麦、トウモロコシなど。これらを糖化・発酵させたアルコールを蒸溜するが、この工程の際に、ジンの命ともいうべき香味が加わる。製造される地域によって異なり、香味のもととなるジュニパーベリーなどを最初から原料に混ぜる製法、発酵したアルコールに直接香味原料を加えて蒸溜する製法、また蒸溜により気化したアルコールを香味原料を入れた器にくぐらせる製法などがある。蒸溜も、オランダでは単式蒸溜器が使われ、それ以外では連続式蒸溜器を用いるなどの違いがある。さらに、蒸溜を2度行うものもある。
現在、ジンの種類としておもなものは、本家オランダの誕生以来の名称を守るジェネヴァ・ジン、英国で変化を遂げた(ロンドン・)ドライ・ジン、ドイツのシュタインヘーガー(ドイツ西部のヴェストファーレン州シュタインハーゲン町で18世紀に発祥)、フルーツや香草を香味づけにした柑橘系ジンで、アメリカに多いフレーバード・ジンの4つ。
このうちシュタインヘーガーはジュニパーベリーを発酵・蒸溜させたものと、大麦麦芽とトウモロコシなどを発酵・蒸溜したものをブレンドし再度蒸溜する。またジェネヴァ・ジンには、2度の蒸溜を経て短期間だが熟成を行うものもある。
ジェネヴァ・ジンはロックかストレートに適し、ドライ・ジンはカクテルに合う。ドイツのシュタインヘーガーはちょうどその中間のタイプで、どちらの方法でも楽しめる。
ところで、ジンはその個性の強さから、一度はまると抜け出せないともいわれる。英国貴族の出で、第二次世界大戦の頃首相を務めたウインストン・チャーチルもその一人。“カクテルの王様”と呼ばれるマティーニ(それもストレートに近いもの)を手放さなかったことは有名な話だ。また、『誰がために鐘は鳴る』『武器よさらば』『老人と海』などで知られる、アメリカが生んだノーベル賞作家ヘミングウェイは、従軍記者時代でさえジンとベルモットを携帯し、戦場で手作りのマティーニを飲んだそうだ。
| 東京書籍 (著:上田 和男) 「洋酒手帳」 JLogosID : 8515611 |