日本最古の道
【にほんさいこのみち】
古代ロマン漂う日本最古の道
日本の道は外国ほど歴史の古さはないが、それでも紀元前から人々が往来し、交流が盛んに行われていた道がいく筋もあった。歴史上に残る日本最古の道として知られているのが、大和盆地の東縁にある「山の辺の道」である。山の辺の道は、奈良市街から桜井市の三輪に至る全長三五kmほどの古道で、春日山や高円山、三輪山の山麓を縫うように南北に細々と伸びている。幅二m足らずの小径だが、沿道には石上(いそのかみ)神宮、大神(おおみわ)神社、長岳寺、崇神(すじん)天皇陵、景行天皇陵、金谷石仏など、数多くの史蹟が点在していることからも、この道が文化交流の主要な幹線道であったことをうかがわせている。三輪山の近くにある海石榴市(つばいち)は古代の交易場で、日本最古の市が立ったところだといわれる。
山の辺の道も、奈良市街から天理付近までは長い年月に流されてその道筋も明確でないが、天理の石上神宮あたりから桜井市の三輪までの間は、道標なども整備され、古代ロマン漂う探訪コースとして訪れる人が多い。
山の辺の道とともに知られているのが葛城の古道である。奈良と大阪の県境にそびえる葛城山や金剛山の東麓を南北に貫いている道で、「西の山の辺の道」ともいわれている。現在の国道二四号ができるまでは、葛城の古道がこの地方の幹線道として機能していた。
葛城古道は五世紀末頃に、この地で勢力をふるっていた豪族の葛城氏の本拠地があったところで、日本の代表的な古道の一つである。起伏の多い道に沿って、古寺社や史蹟が点在し、いかにも歴史の道にふさわしいたたずまいをみせている。山の辺の道や葛城の古道のほかにも、大和地方には都祁(つげ)山の道や太子道など、多くの古道が野を越え山を越えて、人々の暮らしに役立っていたのだろう。
| 日本実業出版社 (著:浅井 建爾) 「道と路がわかる事典」 JLogosID : 5060042 |