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日本史の雑学事典第4章 陰謀・暗殺の巻 > 鎌倉時代

源実朝
【みなもとのさねとも】

■2 3代将軍・源実朝を抹殺した黒幕は誰か…諸説渦巻く中世史最大の謎を追う
 鎌倉幕府3代将軍・源実朝の暗殺事件は、何とも奇妙な事件だ。
 発生したのは、1219年1月27日午後8時頃。この日、実朝は右大臣就任を感謝するため、鶴岡八幡宮に参詣した。その帰り道、本殿から長い石段を下るが、途中に銀杏の大木があり、その陰に潜んでいた僧形の若者が、実朝が近づくや、にわかに飛び出し、一刀のもとにその首を刎ね、返す刀で近侍の武士を斬殺したのである。この武士は、実朝の帯剣を携える役目をしていた男だ。
 襲撃犯は「親の敵を取ったり!」と叫び、実朝の首を抱えて、すさまじい俊敏さで逃亡した。 
 犯人は、公暁という20歳の若者である。2代将軍・頼家の次男だ。鶴岡八幡宮の別当職(いまで言う住職)に就いていたから、別段怪しまれることがなかったのだ。
 公暁は、自分の父親を殺したのは実朝だと信じていた。自分が将軍になりたいがために、死に追いやったのだと思い込んでいた。
 ただし、これは誤りである。実朝が将軍になったのは12歳。そんな謀略を思いつくはずもない。頼家を密殺したのは北条氏だ。頼家が乳母一族の比企氏と組んで親政を展開しようとしたため、北条時政が伊豆修善寺に幽閉し、葬ったのである
 事件当時の北条氏の当主は、時政の子・義時。その義時は、事件のさい、実朝に近侍していて、本来なら公暁に斬り殺されるべき人物だった。
 だが、実際には殺されなかった。というのは、事件の起こる直前、体調不良を訴えて、源仲章に剣を持つ役目を代わってもらい、そのまま帰ったため、運良く難を免れたのである
 何と運の良い。そう思うかもしれない。
 だが、余りにもタイミングが良過ぎるので、義時は事前に暗殺を知っていたという説が強い。なかには、義時が実朝暗殺を企てた真犯人という史家さえいる。政治力が備わってきた28歳の実朝を危険視して抹殺したとか、実朝が朝廷に近づこうとしたため、武士政権を維持するために始末したなど、さまざまな理由が挙げられている。実際、義時はその後、頼朝の異母弟や頼家の遺児など、源家につながる血統を次々と抹殺している。
 こうした義時犯人説に対して、歴史作家の永井路子氏は、黒幕は三浦義村だと推測する。
 三浦氏は、北条氏に次ぐ有力御家人である。もし、今回の事件で義時が公暁に殺されてくれれば、一番得をした人物であった。そのうえ、義村の妻が公暁の乳母をしており、公暁とのつながりは深い。ゆえに、義村が公暁をそそのかして、裏で糸を引いていたと永井氏は見る。
 確かに公暁は、実朝を殺したあと、義村に使者を遣わし、「実朝亡きあと、将軍になるのは私である。その件でご相談したい」と告げている。
 義村は、すぐに迎えの者を遣わしたが、それは死への迎え、すなわち刺客だったのである。油断したのだろう、あっけなく公暁は、義村の部下に殺害された。義村が素早く公暁を殺害したのは、義時が生きていることが判明したため、もはや計画は失敗だと判断、証拠隠滅を図ったのだと考えられる
 何とも不可思議な事件であるが、比叡山延暦寺の天台座主・慈円僧正が書いた『愚管抄』という信頼に足る当時の史料には、実朝暗殺犯は単独ではなく、数人の僧形の若者が飛び出してきたという記述があり、さらには、暗殺現場には義時もいたともいう。とくに後者が本当なら、公暁が義時の顔を知らないはずがないので、たまたま抗おうとした源仲章を斬ったのかもしれず、義時が黒幕だとする疑いは晴れない。




日本実業出版 (著:河合敦)
「日本史の雑学事典」
JLogosID : 14625043


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:河合敦
価格:1,404
収録数:136語
サイズ:18.6x13x2.2cm(四六判)
発売日:2002年6月
ISBN:978-4534034137

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