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暦の雑学事典3章 暦の進化史 >

中国の暦②
【ちゅうごくのこよみ】

暦法を決定づけた三統暦

ユリウス暦より数百年先行した中国の四分暦
 古代中国の春秋時代においては、連大法(大の月の配置法)や置閏法が整備されて、暦の精度は格段に向上した。当時すでに一年が三六五日四分の一からなることも発見されていて、西暦前四世紀頃の戦国時代には四分暦(四分の一日という端数にちなんだ名称)というすぐれた暦法が編みだされた。また、四分暦の成立とともに、中国ではバビロニアやギリシアに先がけて、十九年七閏法も考案された。これは一九太陽年はほぼ二三五朔望月に等しいので、一九年に七回の閏年(一三か月)を設けるという置閏法である(ギリシアのメトン法に相当)。
 一九太陽年≒二三五朔望月の周期を中国では「章」と呼んだ。しかし、四分暦に従えば正確には一九太陽年=一九×三六五日四分の一=六九三九日四分の三となり、四分の三日という端数が生じることになる。そこで、一九年を四倍した七六年を周期とする置閏法が考え出された。これを七十六年法(ギリシアのカリッポス法に相当)という。つまり、閏月の置き方や大の月の並べ方は、七六年ごとに一巡することになる。
◆初の官暦・太初暦に天体暦をもりこんだのが三統暦
 中国最初の官暦は、西暦前一〇四年に前漢の第七代皇帝・武帝が制定した太初暦である(『史記』の著者・司馬遷が改暦の責任者)。王朝の交替にあたっては、新たに天命を受けたことを人民に知らせるために、諸制度が刷新される。秦の始皇帝に始まるこの中国特有の政治思想は「受命改制」という。太初暦は漢王朝における受命改制の一環として施行されたが、それまで数世紀にわたって使われつづけた四分暦は、天象とのずれが目立ってきたことも改暦の原因となっている。
 たとえば日食は、地球からみて月と太陽が同方向にある朔(新月)の日に起こる。太陽暦グレゴリオ暦)に慣れた現代人は、月齢の記されている暦や新聞などをみないと、新月や満月の日はわからないが、太陰暦および太陰太陽暦では、朔は一日、望はおよそ一五日と定まっている。しかし、漢代以前の四分暦では、日食が必ずしも一日に起こるとはかぎらなくなっていた。中国においては暦は天命を代行する皇帝が人民に提示するものとされていたので、天象とずれるような暦では皇帝の権威は丸つぶれとなってしまう。
 そこで、とりあえず漢王朝のシンボルとして施行された太初暦に、五惑星の位置計算や日食・月食の予測といった天体暦の要素をもりこんだ三統暦が前漢末(西暦五年頃)に制定された。これはカレンダーとしての暦(太陰太陽暦)と天体暦の合体を意味する。以後、中国では三統暦のスタイルが定着し、暦法計算はきわめて複雑なものとなった。




日本実業出版社 (著:吉岡 安之)
「暦の雑学事典」
JLogosID : 5040065


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:吉岡 安之
価格:1,404
収録数:198
サイズ:18x13x1.8cm(-)
発売日:1999年12月
ISBN:978-4534030214

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