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暦の雑学事典2章 暦の歴史エピソード >

十干十二支②
【じっかんじゅうにし】

十二支はどこから生まれたのか

◆動物が配当されたのは中国・戦国時代
 十干十二支は西暦前一五〇〇年頃の中国ですでに成立していた。殷の時代には一か月を旬(一〇日)で区切っていたのでまず十干が生まれ、十干を十二支組み合わせた六〇干支が、便利な六〇進法の序数がわりに使われたようだ
 十二支の起源については次のような説がある。
 木星のことを中国では歳星あるいは太歳と呼んだ。これは木星が天球の黄道を約一二年(公転周期は一一・八六年)かけて一周するため、一年を秩序づける星として観測が重視されたからであるそこで、この木星の運行と関係して、一二年で一巡する十二支生まれたというのである。『史書』に「歳次甲子」「太歳丁酉」などとあるのは、歳星(木星)が一二等分した天のどの位置に宿るかによって、年を数えたことに由来する。ただし正確にいえば、太歳とは歳星と反対側の位置に便宜的に設けた仮想の天体である
 年・月・時刻に十二支が配当されるようになったのは、十干十二支の成立から約一〇〇〇年後の戦国時代(西暦前五世紀~前三世紀)の頃といわれる。これは天文暦法の発達・整備と関係しているようだ。子・丑・寅……という十二支の文字に、ネズミ・ウシ・トラという動物が配当されたのも戦国時代である
 動物が配当された理由については、よくわかっていないが、陰陽五行説や西洋の黄道十二獣とは別の民間思想が反映したものらしい
北斗七星は夜空の大時計
 一二の月に十二支は次のように配当された。
子  丑  寅  卯  辰  巳  午  未  申  酉  戌  亥
11月 12月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月

 一一月が十二支の最初の子の月になっているのは、立春正月が定着する以前の古代中国において、冬至を含む月が年初とされた時代があったからだ。
 中国では一月(寅月)は建寅月とも呼ばれ、これを日本では「寅におざす月」と読んだ。「おざす」の意味は「尾指す」で、古代中国のある時代において、毎年、この月の夕刻には北斗七星の尾(ヒシャクの柄)が垂直になり、子の方向(北)を指していたことに由来するという。つまり北斗七星の尾の向きは、一年の起点を示す暦がわりになっていたわけである。また、北半球における星座は北極星の周囲を一日で一周する。北斗七星の尾もまた一時間で一五度回転するので、北斗七星は時計がわりにも利用された。つまり北極星を中心、北斗七星の尾を針とする夜空の大時計である
 このように北極星北斗七星は便利な目印であったため、古代中国ではごく自然に北極星北斗七星を尊崇する習慣(北斗信仰)が生まれようだ




日本実業出版社 (著:吉岡 安之)
「暦の雑学事典」
JLogosID : 5040029


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出版社:日本実業出版社[link]
編集:吉岡 安之
価格:1,404
収録数:198
サイズ:18x13x1.8cm(-)
発売日:1999年12月
ISBN:978-4534030214

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