佐久間象山
【さくましょうざん】
【雑学大全2】 ヒトの不思議 > 人物
信州松代藩出身の兵学者佐久間象山は、江戸遊学中に海防の重要性に目覚めた。幕末、清国ではアヘン戦争の起こった時代であり、このニュースを知った象山は、西欧諸国の侵略の危機に備える兵学を学ぶうち、日本を守るためには海防が最優先だと考えるようになった。一八四二(天保一三)年には、「海防八策」としてまとめた国防案を、老中を務めていた藩主を通じて幕府に上申するほど積極的だった。なかでも特筆すべきは、洋式軍艦を建造し、海軍の育成を進言している点だ。この時代の日本は、ようやく沿岸に砲台を据えることに手をつけたばかりで、軍隊といえば陸軍しかなかったのである。しかし、幕府はこれを無視し、象山の弟子である勝海舟が後に海軍の育成を実現するまで、日本は無益な時代を過ごすことになる。鎖国を金科玉条としていた当時の幕府にとって、外国船に攻撃される可能性など考えられないことで、その対応策などは無駄以外の何ものでもなかったのだろう。ところが、象山の先見性は一〇年あまりで証明された。一八五三(嘉永六)年に、浦賀へペリーがやってきたのだ。国防に慌てはじめた幕府に、象山はいまからでは遅すぎると直言し、逆に怒りを買って、妙案がほかにあるのかと詰め寄られる。そのとき彼が提案したのが風船爆弾だった。風船に爆弾を吊り下げて太平洋に飛ばせば、偏西風に乗ってアメリカへ届く。そのとき上空で爆発させれば最高の攻撃になるというものだ。これで、ますます幕府の不興を買ってしまったのだった。しかし象山のこの策は、決して突拍子もない案とはいえないのである。さらに一〇〇年近くを経た一九四三(昭和一八)年、風船爆弾は実際に試みられた。日本軍が和紙でつくった風船を飛ばし、アメリカ本土を攻撃しているのだ。結果は大成功とはいいがたいものの、火災、爆発、山火事などをアメリカ本土に起こさせたという。
data-ad-slot値が不明なので広告を表示できません。
【関連コンテンツ】
広告を表示できません。
【この辞典の書籍版説明】
「雑学大全2」東京雑学研究会 |
|
浜の真砂は尽きるとも,世に雑学の種は尽きまじ。新たな1000項目で帰ってきた,知的好奇心をそそる雑学の集大成第2弾。 |
|
出版社:
雑学大全2[link] |