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中国地方
雑学大全2

鳥取、島根、岡山、広島、山口の五県からなる中国地方。本州の西端に位置するこの五県が、なぜ「中国」地方と呼ばれるようになったのだろう。中国語でいう中国には、中央の国、中心の国という意味がもちろんある。だがもう一つ、「中央から中くらいの距離のところ」という意味がある。中央とはもちろん都で、都とその周辺の地域を「畿」と呼んだ。だから広い意味では畿も中央である。そして、諸国を中央からの距離によって近国、中国、遠国と分けたのだ。七世紀に中国から律令制度を輸入した日本は、この分類方法も実施した。中央は奈良、京都で、その周辺は畿内と呼ばれた。中国とされた範囲を旧国名であげれば、備中(岡山)、備後(広島)、伯耆(鳥取)、出雲(島根)、讃岐(香川)、阿波(徳島)、遠江・駿河・伊豆(静岡)、甲斐(山梨)、飛騨(岐阜)、信濃・諏訪(長野)、越前・能登(石川)、越中(富山)の諸国となる。なお、カッコ内に県名を入れたが、その範囲は旧国と一致していないので、概略をつかむためと考えられたい。さて、いまでいう中国地方の五県以外にも、静岡や新潟、長野、山梨、徳島や高知など、都から中くらいの距離とされた国々が「中国地方」だったわけである。これが、都を中心に同心円を描いた分け方であるが、古代にはもう一つの地域区分法があった。それが「五畿七道」と呼ばれるもので、大和、山城、河内、摂津、和泉の五畿と、街道に沿ってほぼ放射状に、東とう海かい道どう、東とう山さん道どう、北ほく陸りく道どう、山さん陰いん道どう、山さん陽よう道どう、南なん海かい道どう、西さい海かい道どうの七道にするという区分法である。この区分によれば、現在の中国地方は山陽道と山陰道にすっぽり含まれる。五畿七道は、人々の生活に密着する街道に基づいた区分だけに、以後長く親しまれる区分法となった。古代の呼称である中国、人々に親しまれてきた地域区分、そして廃藩置県で生まれた五つの県。これらの歴史を背景として、中国地方と呼ぶようになったのではないかと見られている。

  

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