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淡路島
雑学大全2

現在は、兵庫県にある瀬戸内海最大の島・淡路島。図らずも阪神淡路大震災で全国にその名をとどろかせてしまったので、兵庫県だというのは広く知られるようになったが、つい最近の明治時代まで、実は徳島県の所有だった。その所有に関しては、悲しい戦いの歴史がある。戦国時代は、阿波・三好氏が治めていたので、確かに所有は徳島県だった。その後、江戸時代になってからも、徳島藩主・蜂須賀氏が治めるようになっていた。以来、蜂須賀氏は筆頭家老を洲本城代として常駐させ、その人物を島の統治にあたらせていたという。ではなぜ兵庫県になったかというと、一八七〇(明治三)年に起こった騒動が原因になったようだ。蜂須賀氏の家臣で洲本城にいた稲田氏が、徳島藩からの差別的な扱いを不満に思い、独立運動を企てはじめた。差別的な扱いは家臣同士のいがみ合いとなり、蜂須賀氏と稲田氏の家臣同士が、とても仲が悪くなっていたためだ。実際、淡路島で暮らしている稲田氏の家臣たちは、蜂須賀氏の直臣たちから、常に差別的な侮辱を受けていた。このため稲田氏の家臣数百人が徳島藩から独立しようという運動を企てたのだ。当然、この反乱計画を知って激怒した蜂須賀氏は、兵を挙げて襲撃。多数の死者を出す騒動に発展してしまった。このことに明治新政府は迅速に対応し、襲ったほうの蜂須賀氏の首謀者一〇名には切腹を命じ、そのほか七〇名は流罪となった。一方の稲田氏側には、北海道開拓のための移住を命じている。喧嘩両成敗となって、どちらの家臣たちも淡路島に入ることができなくなってしまった。しかもその後、島を開拓するためには、かなりの費用がかかることになったため、徳島県では、その費用を負担することができず、兵庫県がその費用の一〇年分を肩代わりするという条件で落ち着いた。そのときから淡路島が兵庫県になったのである。もしも、明治時代、稲田氏と蜂須賀氏の間に騒動が起こらなかったならば、いまも淡路島は徳島県の所有だったに違いない。

  

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