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滝廉太郎
雑学大全2

明治時代の作曲家滝廉太郎は、組歌「四季」、中学唱歌「荒城の月」「箱根八里」、幼稚園唱歌「お正月」「鳩ぽっぽ」など、今日でも親しまれている多くの曲をつくった。西洋音楽のスタイルで楽曲を創作した最初の日本人作曲家でもある。彼は幼い頃から音楽好きで、すでに高等小学校時代には、歌を一度聴いただけで、ハーモニカやオルガンやバイオリンなどで演奏できたという。一八九八(明治三一)年、東京音楽学校(現・東京芸術大学)を卒業。一九〇一(明治三四)年にドイツに留学したが、肺結核で翌年帰国。さらにその翌年、二四歳の誕生日を迎える前に才能を惜しまれながら死去した。ドイツ留学中の滝は、ライプチヒの音楽学校に入学し、毎日学校に通ってピアノや作曲を学ぶ学生だったが、必ずしも授業を熱心に受けていたというわけではないようだ。彼のピアノ曲「メヌエット」の自筆楽譜の最後のページには、「明治三十四年十月二日午後四時より五時までのハルモニーの授業時間においてHerr Porf.Dr.S.Jadassohn氏が左の譜を或説の為に記さる」という一文とともに、楽譜の一部が書かれているのだが、そこには汽車の絵も描かれているのである。彼は、ドイツ人の学生が音楽理論に弱く、音符をうまく書けないことに驚き、友人への手紙にそう書いたりしているというから、授業にも退屈していたのだろう。滝廉太郎は、天才作曲家とはいっても、真面目一方ではなく、現代の普通の学生たちにも通じるようなユーモラスな一面を持っていたのである。ちなみに、ユーモラスといえば、彼はたいへんなお汁しる粉こ好きだったといわれる。中学唱歌の募集に応募して三曲とも採用されたとき、賞金で友人たちにお汁粉をごちそうしたという話も残されている。

  

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