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遷都論
日本史の雑学事典

■16 関東大震災後の信じられない遷都論…日本の首都が朝鮮半島に?
 1923年9月1日の関東大震災で首都圏は壊滅した。震災後、東京は今後も大地震に遭う危険があるゆえ、遷都すべきだという意見が出た。
 とくに遷都論を具体的に検討したのが、陸軍参謀本部だった。担当の今村均少佐の報告書には、遷都第一候補を日本列島ではなく、何と朝鮮半島(当時は日本の植民地)の竜山としてあった。ここなら地震による被害は出ないと判断したのだ。だが、すぐ南方に大都市・京城があり、普通に考えるなら京城のほうがずっと便利だ。
 ではなぜ、今村は竜山を選んだのだろう?
 政府は、植民地である朝鮮半島への日本人移民を計画していたが、なかなか進まずに苦慮していた。ならば、皇居を含む首都を朝鮮へ移せば移民が促進されるだろうと考え、竜山のような大量に移民を受け入れられる、未開発の広い土地を想定したのだ。
 また、第二候補として兵庫県の加古川台地を、第三候補に東京郊外の八王子を選んだが、結局遷都論は国民の動揺で立ち消えとなり、東京をそのまま帝都とし、早急に復興されることになった。
 帝都復興を担当した内務大臣・後藤新平は帝都復興院を創設し、50億円をかけた壮大な復興計画を立てた。被災地すべてを買収し、都市計画に基づいて区画整理をおこない、そのあと市民に売却するというものだ。だが結局、予算は7億円、5億7千万円と削減され、帝都復興院も廃止、都市計画は尻すぼみになってしまった。
 ただし、昭和通りや靖国通りなどは、この計画に基づいて造られた道路である。

  

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