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先斗町
雑学大全2

男性なら一度は、お座敷に芸者衆を呼んで、粋なお茶屋遊びをしてみたいと思う人も多いだろう。ところで、先斗町というこの地名、広辞苑の編者である新村出氏によると、その語源はポルトガル語だという。「先斗」はポルトガル語の「ponta」のこと。意味は「先端」とか「先」といった意味である。英語にすると「point」。いまの私たちには、こちらのほうがなじみ深い。先斗町が「先端」を意味するポルトガル語で呼ばれたのは、先斗町が鴨川原の片側の先端にあったためという。いつからそう呼ばれるようになったかは不明だが、鴨川の護岸工事で宅地ができたのが江戸時代のはじめ頃。一七〇〇年頃に出された本には「ぽんと町」と出てくるという。江戸時代後期になると、先斗町に遊郭ができる。五軒の遊郭が立ち並び、花街の色彩を濃くしていった。一八一三(文化一〇)年には、遊郭だけではなく芸者を抱えることも許可された。明治になると、芸妓たちの教育機関も設けられた。芸者を志すものはそこでみっちりと芸を仕込まれていった。一八七二(明治五)年の第一回京都博覧会の際に、いわゆる余興として先斗町の芸妓たちによる「鴨川をどり」が初演され、その華やかな様子は先斗町の一つの顔にもなっていった。その後、芸妓による「鴨川をどり」は一時中断されたこともあったが、一八九五(明治二八)年に復活している。いまでは、先斗町の歌舞練場で、春と秋にこの「鴨川踊り」が披露されており、人々の目を大いに楽しませてくれる。

  

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